ノーローンのサイトです。
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所属とは?/ ノーローン

[ 701] プロダクションと所属タレント
[引用サイト]  http://www.cbr-j.com/official/agent.htm

和田アキ子・片平なぎさ・榊原郁恵・井森美幸・大沢逸美・比企理恵・山瀬まみ・優香・吉野公佳・藤原竜也・武田真治 ほか
池田聡・高橋克典・ムッシュかまやつ・吉岡忍・中村雅人・赤座美代子・伊原剛志・大鶴義丹・高樹沙耶・田中ちなみ・南野陽子・浅野裕子・大神いずみ・椎名由紀・立河宣子
財前直美・仙道敦子・山口智子・江角マキコ・高田万由子・中村愛美・唐沢寿明・竹野内豊・反町隆史・古河理科・平井堅・押尾学・原沙知絵・伊東美咲・市川由衣 ほか
ビートたけし・そのまんま東・ダンカン・ガダルカナルタカ・つまみ枝豆・松尾伴内・ラッシャー板前 ほか
阪田瑞穂・澁谷飛鳥・菊川怜・後藤久美子・藤谷美紀・細川直美・小田茜・佐藤藍子・藤森夕子・大河内奈々子・今井恵理・米倉涼子・久我陽子・青田典子 ほか
加藤みどり・松尾佳子・長谷由子・横尾まり・津野まさい・杉本るみ・はりまさなえ・よしいけいこ他
有森成実・ヒロコ・グレース・神田うの・野村佑香・吉野紗香・青木裕子・角田智美・ソマリ・黒谷友香・栗山千明・水谷妃里・鶴水妃里・加藤あすか ほか
松雪泰子・常盤貴子・持田真樹・竹内結子・山口もえ・黒田美樹・内藤陽子・中谷美紀・村上遥・森尾由美・梅宮アンナ・岩崎ひろみ・小牧ユカ・柴咲コウ・坂東英二・野々村真 ほか
酒井法子・安達祐美・大谷みつほ・新井裕子・渋谷哲平・田村英里子・手塚理恵・牧村三枝子・中嶋ミチヨ・森田健作・ケインコスギ・ベッキー ほか
植木等・谷啓・吉田栄作・中山秀征・石塚英彦・奥村チヨ・マルシア・高見恭子・松本明子・飯島愛・ネプチューン・ふかわりょう・久我美子・田村恵・ホンジャマカ・恵俊彰・原千晶・真中瞳・日向真帆・なすびゴルゴ松本 ほか他
山田まりあ・佐藤江梨子・川村亜紀・小池栄子・坂井優美・松岡由樹・五十嵐りさ・かわい綾・雛形あきこ・細川ふみえ・かとうれいこ ほか
因幡晃・加藤紀子・城之内早苗・中澤ゆうこ・堀内孝雄・マキ凛子・森高千里・カントリー娘・田村直美・後藤真希・釈由美子・つんく・中澤裕子・プッチモニ・松浦亜弥・モーニング娘ほか
奥山佳恵・加藤貴子・岸谷五朗・黒田福美・サザンオールスターズ・須藤理彩・椎名英姫・スーパースランプ・田中千絵・富田靖子・福山雅治・深津絵里・ポルノグラフィティ・三宅裕司・山本未来ほか
萩本欽一・坂上二郎・関根勤・小堺一機・見栄晴・キャイーン・おさる・Rマニア・岡元あつこ・ ほか
ドリフターズ・いかりや長介・仲本工事・高木ブー・加藤茶・志村けん・いしだあゆみ・竹脇夢我・定岡正二・麻生祐未・木内晶子ほか
故いずみたくが創設したミュージカル俳優養成プロダクション。劇団所属の多くのタレント情報あり
野川由美子・中田喜子・三條美紀・村上里佳子・渡辺篤郎・片桐はいり・ニ反田雅澄・村井克行・清水邦彦ほか
山田邦子・高島礼子・ダチョウ倶楽部・松村邦洋・笑福亭笑瓶・猿岩石・片岡鶴太郎・羽賀研二・カイヤ・山咲トオルほか
ケントギルバート・ダニエルカール・千葉真由実・イザベルとベネ・石井苗子・浜奈豆・出光ケイ・佐藤直子
アルファルファ・アンタッチャブル・池谷幸雄・伊集院光・東亜佐美・上原さくら・五輪真弓・大橋純子ほか
伊藤聡子・大桃美代子・宮田佳代子・関口宏・前田武彦・マリ・クリスティーヌ・関口智宏・中西哲生 ほか
タモリ・安田成美・由紀さおり・研ナオコ・永作博美・高見知佳・早坂好恵・椎名亜希子・真矢みき・プリンプリン・日高ようこ他
生田智子・斉藤由貴・千石規子・一路真輝・斉藤由貴・沢口靖子・塩沢とき・寿美花代・千石規子・田中美里・司葉子・星由里子・水野真紀・宮本信子・高島忠夫・高島政宏・高嶋政伸・橋爪淳・三橋達也ほか
樋口可南子・根津甚八・椎名桔平・南果歩・近藤芳正・寺島しのぶ・伊藤歩・粟田麗・宮本裕子ほか
明石家さんま・浜田雅功・松本人志・藤井隆・今田耕司・島田紳助・間寛平・東野幸治・田中直樹・西川きよし・桂三枝・桂文珍・小室哲哉 ほか

 

[ 702] シロクマの屑籠(汎適所属)
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/

この記事はともかく、「俺が不幸*1なのは○○のせい」という自己欺瞞ライフハックは、ネットの内でも外でもかなりの頻度で遭遇する。実際、「○○という原因のせいで俺は不幸なんだ。不遇なんだ、○○さえ無ければ俺はhappyだった筈なんだ」という物言いは、○○以外の自分自身の問題から目を逸らせるには優れたライフハックといえる。
例えば「俺がモテないのはエロゲーオタだから」という物言いをする人がいるとしたら、その人はエロゲーオタであること以外には問題は無い、と思いこむことで、エロゲーオタという自分自身の属性以外のすべての自分自身の問題から目を逸らせることが出来る。エロゲーオタというたった一つの属性に原因の所在を転嫁し、他の問題は一切不問に付すことで、ある種の安心感を得ることが出来るのだ。
しかしこの場合、彼がエロゲーオタをやめることはまず無い。むしろエロゲーオタという属性を悪し様に罵倒しながらもエロゲーオタを続けることこそ、このライフハックにおいては重要なポイントになる。なぜならエロゲーオタをやめてしまったら、自分がモテない理由なり不遇な理由なりに、改めて直面しなければならないからだ。自分自身の不遇をエロゲーに責任転嫁して安心している人が、エロゲーオタをやめてわざわざその構図を駄目にしてしまう筈が無い。「そんなに嫌なら、エロゲーやめれば?」などと言うと、この人達は口ごもってしまうか、やめられない根拠を強く主張する*2。
自分が異性と交際出来ない苛立ちを、自分の顔面、特に顔面の形態のせいにするライフハック。特に男性の場合、顔面の形態なんてものは、異性と交際できるか否かのほんの一部分のファクターでしかない。出会いの多寡・性格・表情の豊かさ、などなど様々な要素が複雑に絡まって、一個人が異性と交際するかどうかが決まってくるし、本当に異性との交際について考えるなら、そんな短絡的な一元論に飛びつくほうが本来どうかしている。しかし、こういった物言いはネット上では珍しくない。
これもかなりひどい自己欺瞞といえる。例えば女性スタッフの多い職場にきわどい美少女フィギュアでも飾っている人が、「俺が陰口を叩かれるのは、オタク差別のせいだ」などと言う場合、彼がオタクだから陰口を叩かれているという理解は一面的に過ぎる。それ以前の問題として、女性スタッフの多い職場にきわどい美少女フィギュアを持ちこむに際して何の予防策も講じない、という感性のほうが問題視されている可能性なども、検討されて然るべきなのだ。または、食べこぼしのスナック菓子がゴキブリの餌になっている事のほうが問題なのかもしれない。だが、自分自身の問題に目を触れずに済ませたいだけなら、「全部オタク差別のせい」に責任転嫁しておけば問題ない。
時には本当に誰かの陰謀のせいで頭を押さえつけられている、という事も無くはない。だがこの手の陰謀論が、あらゆる角度からみて評価されそうにないような人の口から出ることがある。文句は人一倍言うけれども自分の手足を動かすのは大嫌い、人付き合いも悪く、いつも猫背で、ピントのずれた事ばかり言っている人が、「誰それの陰謀さえなければ、俺も出世出来るのになぁ」などとスナックのママにぼやいているのを耳にすると、ああ、この人は陰謀のせいにでも責任転嫁していないと、やってられないんだろうなぁと思わずにはいられない。
なお、この手の自己欺瞞ライフハックは、自分自身を騙して安心するには十分でも、それを耳にする周囲の人達の考えを変えるには全く向いていない、ことは付け加えておく。むしろこんな自己欺瞞に溺れてばかりいると、「ああ、やっぱりこの人は駄目なんだな」という冷ややかな視線をいっそう集めかねない。殆どの場合、この手の自己欺瞞は他人からはミエミエなのだ。もし、この自己欺瞞ライフハックを使って他人の目もごまかせると思いこんでいる人は、“頭隠して尻隠さず”という格言を地で行くことになってしまうだろう。
大体から言って、たった一つの属性や原因だけのせいで、不幸やらモテ非モテやらが語れるはずがないのだ。人にはいろいろと心の都合というものがあるので、確かに一つの要因に責任転嫁せずにはいられない状況というものもあるし、そういう人には「俺が不幸なのは○○のせい」という自己欺瞞ライフハックも有効だろう。しかし、自分自身の目隠しには向いていても他人には効果の無い、そういうライフハックだということは心得ておかなければならないだろう。そして目隠ししているだけでは自分自身に潜んでいる、もっと多様な問題からは遠ざかってしまうのである。
*2:この、相手に対してというより自分自身に対しての主張に失敗してしまうと、彼の自己欺瞞がつぶれてしまうので、うんうん、と聞いてあげるぐらいのほうが彼は喜んでくれるかもしれない。
私の周りでは、還暦を迎えてもミリタリー趣味に夢中の人や、ピコピコ音楽が大好きな人を案外見かけたりします。『ガンダム』や『信長の野望』の話になると目を輝かせる四十近くのおっさんだっている。そんな彼らが「大人になれ」と言われているかと言ったら、全然そんな事はなくて、高い社会見識を持ち、職場の色々な人に信頼もされている。ピコピコ音楽大好きの人などは、歳も歳だというのに、Perfumeもかなり前から聴いていたようです。自分の文化クラスタを大切にしている大人というのは、いないようで、結構いるものです。
ただ、そんな彼らではあっても、人付き合いにそれなりのエネルギーを費やしているという印象はあります。さすがに平日に飲みに行くような人はあまり見かけないけど、それなりに付き合いはやっているし、自分の好きな文化クラスタ以外の人と会話している時も屈託無く振舞っています。たまたま自分の文化クラスタの話題になった時も、相手の理解度に合わせて静かに話をする感じです----趣味の世界に時間とお金を際限なく使っている人の場合でも。
だから問題なのは、「趣味が大人っぽいか否か」ではなく、「自分の態度や意識が大人になれてるかどうか」ではないのでしょうか。文化系クラスタやオタククラスタを主な趣味としている人であっても、節度ある大人として行動し、実際に周りの人にもそう認知されている人というのは幾らでもいます。一個人が大人か否か・未熟と揶揄されるか否かは、どんなhobbyを持っているかとは無関係な所で大方決まってくるものじゃないでしょうか。カラオケやゴルフを主な趣味としている人でも、「子どもじみた振る舞い」と陰口を叩かれる人は幾らでもいます。ネットでは時々、「俺が子ども扱いされるのは、俺の趣味のせいだから仕方ない」って文章をみかけますが、ああいう人達って、自分自身の問題を、自分の愛している(であろう)趣味に責任転嫁しているだけなんじゃないんですか?
本当に自分の趣味や文化クラスタを愛しているなら、自分の趣味や文化クラスタのせいで自分は大人扱いされない、などとおおっぴらに言わないような気がする。本当に自分のhobbyが好きなのか、それとも自分のhobbyに陶酔している自分が好きなのか、小一時間問うてみたい。どういう趣味を持っているかに関係なく、一人の人間として出来るだけ大人の節度を守って、周囲との信頼関係を構築していくのが“成熟”ってやつなんじゃないですか。自分がどういう趣味や文化クラスタを愛好しているかに関係なく、むしろ背筋をピンと伸ばして振舞うぐらいでもいいんじゃないか。
確かに、アニメやゲームやある種の音楽への偏見はまだ根強いかもしれない。けれど「なんだ、あいつアニオタだけど、話せばちゃんとしてる」「アニオタは幼稚だ、ってのは偏見なんだね」と思って貰うように振舞う方法は幾らでもあると思うんです。また、誰かに未成熟呼ばわりされた時に、自分の趣味のせいにするまえに、考えるべきこと・できることっていうのはあると思うんです。もっといえば、自分の未成熟をアニメや音楽趣味のせいにする、という態度こそが、大人気ない。そんな態度をとっていれば、益々「ああ、やっぱりアニオタは幼稚だな」「変な音楽きいてる奴は駄目だな」といった偏見を助長することにもなりかねません。そんなことで、いいんですか。
「文化系における成熟問題」を嘆くよりも、自分の趣味を愛していく方法や、自分自身が成熟していく道筋を模索したほうが、建設的なんじゃないかと思いました。
オタクのコミュニティに限らず、都市空間のなかで出入りが割と自由なスペースでは、肉体的な腕力や威圧を持った個人がけっこう優勢を確保しやすい、と私は考えています。それをグローバルでロジカルな権力と比較して、「ローカルでnon-literalな権力」と表現できることは確かです。
ただしこのローカルな権力って、威圧と暴力以外にも色々な要素が含まれてますよね。ロジックに回収しにくい諸力としては、容貌や身振り手振りやなんかも含まれて然るべきでしょう。かわいらしい女の子の笑顔なんて、もう最高にパワフルです。言葉の体系では回収しきれない、プリミティブな情動に関連した諸力全般が、ここでは問題にされなければならないと思います。そしてid:tenkyoinさんの仰る通り、僕は、それをロジカルな文法で記載し尽くせたら最高だなぁなどと執着してます。もし可能であれば、ロジカルにエミュレート出来たら面白いとも思います。
ただ、ちょっとtenkyoinさんの早合点のように思えたのは、ローカルな権力(腕力や威圧、美貌、笑顔、など)の存在と有効性を認める、ということを、ロジックレベルでエミュレートすることになぜ直結させちゃったのか、という事でした。確かに、ローカルな権力をロジックな形式で記載したいという願望は持ってますし、それはそれで、一つのliteralな征服形式と言えるでしょう。ですが、僕は情動や感情を完全に(または十分に)エミュレート出来るとは思っていません。だって、なんだか分からないうちに溢れてくる感情って、自分の内側にもあるじゃないですか。他人の威圧や笑顔を前にした時に、抗し難く心動かされる瞬間ってあるじゃないですか。そういうのは、エミュレートしきれないと思うし、しようと頑張りすぎてもかえって厄介なことになると思うんですよ。
事後的に、そういった(私や、対象の)情動の動きを再検討する際に、ロジカルな接近は有効だと思います。また事前にシミュレーションしてみることで、自分の繰り出したいカードを並べてみることも可能だとは思います。ですが、実際に怒号や笑顔が飛び交ってる瞬間、ロジックでエミュレートなんて言ってられないと思うし、できると思うほうがどうかしてると思いませんか。ロジックだけで動くロボット人間さんなら、そういうのも出来るかもしれませんが、生憎、シロクマは畜生の身です。大脳新皮質が「エミュレーション!エミュレーション!」って題目唱えてみたところで、扁桃体の反応のほうがずっと強烈で、鋭敏でしょう。この畜生の身のある限り、僕はローカルな権力の荒波に巻き込まれずにはいられませんし、その巻き込まれ具合はロジックで解剖しきれない何かを含み続けるでしょう。
だから僕は、「ロジカルな人間が肉体的でnon-literalな行動をエミュレートするにはどうすればいいか」というより、「肉体的でnon-literalな権力が問われる状況下で、そういった影響があるということをまず確認すること」を志向しているつもりです。そして都市空間の出入り自由な空間の人間が、literalなロジックで重武装していてもローカル権力の影響を蒙らずにはいられない、ということを忘れちゃヤバいよね、とも言いたいです。理屈でエミュレートなんて、畜生の身にはとんでもない。ただせめて、そういったグロい権力の影響を自分や他人がどのように蒙るのか・どのように(自ずと)発信されてしまうのか、が多少整理できたらいいなとは思います。この、高度に都市化された割には、案外野蛮な土地で生きていく為に。
「何かの事物の隅々まで分かりつくす事なんて俺には出来なくて、どんなに目を凝らしても分からないままの余りモノが残ってしまうんだ」ということだけは、俺には余すところなく分かる。
幾ら動機や心的背景を分析しても、一人の人間の行動を説明しつくすことは出来ない。例えば「電車でいちゃつくカップルがムカツク」と思った人が百万人いたとしても、実際に電車でいちゃつくカップルに難癖をつける人は、多分、千人もいない。ましてや、バールのようなもので唐突に殴りつけるような奴は、一人、いるかいないかぐらいだろう。「電車でいちゃつくカップル」をいきなりバールのようなもので殴りつける奴の、動機の種類だけ特定出来たとしても、多分あんまり意味が無い。
動機の鬱積具合がどうなのかとか、ちょっとした動機でも発火するような衝動耐性の低さがあったのかとか、恐ろしいまでの時間とエネルギーを一点に集中させるような特殊さがあったのかとか、そういった部分まで含めてでなければ、本来、「どうして電車のなかのカップルを彼がバールのようなもので殴ったのか」にはアプローチ出来ない。同じような動機・心的背景を持っている人が何百万人もいたとしても、その動機をスタート地点として、到達してはいけない所まで到達してしまう人はそう多くは無い。というか、滅多にいるものではない。
到達してはいけない所の手前には、いくつもの関所やハードルやストッパーがある筈で、その何百もの“壁”をすべて通り抜けてしまった者だけが、超えてはいけない一線を超えてしまう。人間の行動を考える際、動機を検討するのはもちろん有意味には違いないけれど、その動機をもとに一線を超えてしまう人間が極めて稀であること、も意識されて然るべきだろうなと思う。あるいは動機の種類よりも、どうして動機が何百もの“壁”を超えてしまったのかのほうが、よほど知り甲斐がある、ような気がする。そして厄介な気もする。
幾ら社会に対して恨めしさを抱いていても、いかに孤独であろうとも、ただそれだけで見ず知らずの他人をバールのようなもので殴ったり、刃物で刺したりできるほど、殆どの人間は強くもなければ弱くもない。それでもやってしまうというのなら、そこには何百万分の一のややこしさなり、分かりにくさなり、飛び抜けた何かなりが、あるのだろう。沢山の人と共通する動機だけでは決して回収しきれない、そういう何かが。
僕は、いわゆる“脱オタ”をしたオタクだ*1。アニメやゲームを中断してでもいいから外の世界の事が知りたい。そう思ったかつての僕は、オタク界隈を一度飛び出したことがある。オタク文化の外側にいる人達に会いたい。いろんな人とコミュニケーションしたい。そしてオタク以外の文化圏や価値観にもっと触れたい。そんな思いが、二十代前半の僕を井戸の外へと連れ出した。
やって良かったと思う。屈辱回廊を十周ぐらいした事もあれば、歯ぎしりする事もあったけれど、色々な人に出会い、色々な文化や習慣に出会った。オタク文化やオタク仲間もいいけれど、外の世界にだって魅力はあるしいい奴もたくさんいる。摩擦や心労に見合った成果を、僕は獲得できたと思う。
例えば僕は、“疲れる音楽の聴き方”があるということを、外の世界で初めて知った。I'veの純粋培養ボーカルサウンドなんかには無い、微妙な表現をいちいち追いかけ回す聴き方があること・自分とは違ったメッセージや感性を追いかけて、時に驚いたり、時に苛立ったりすることを、僕は初めて知った。音楽には、楽しいこともあるし、恐いこともある。驚きもある。そして、いつも摩擦がある。そんな事、オタク界隈にいた頃、誰も教えてくれなかった。
同じことが、絵画にも小説にも起こった。人間付き合いにも、起こった。ああ、こんなに世界は摩擦に満ちていたんだ。「自分と違う他人のザラつき」を二十代半ばにようやく発見した僕は、くたびれるのも懼れずに、色々な所を回っては摩擦を確かめた。そして、自分とは違った何かを見つけては、いちいち喜んだものである。
いつの間にか、僕のiTunesのなかにはアニソンやらゲームBGMやらが入り込んでいて、沢山再生されていた。いろんな世界を一回りして、色々触れてみたけれど、結局はもとの場所に帰ってきたらしい。自分と違った違和感や摩擦を味わうには、アニソンやゲームBGMはあんまり向いていないけど、僕が一番リラックス出来る曲、僕に一番エネルギーをわけてくれる曲、というのは、やっぱりアニソンやゲームBGMしかないらしい。なんというか、元気が出てきてしまうのだ。逆に、アニソンの外の音楽に触れると、僕はたちまち萎れてしまう。(幾つかの演奏者の)バッハやラヴェルは今でも好きだけど、ずっと聴き続けることは出来ない。絵画も、美術館に長居するとへとへとになってしまう。でも、ゲームとアニメなら大丈夫。半日やっててもどうということはない。

 

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