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しまうとは?/ セントラルファイナンス

[ 244] プレゼンでアガってしまう人に贈る処方箋:ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20040730/147967/

取材して記事を書くのが記者の本職だが,まれにプレゼンテーションをする機会がある。IT関連のイベントで,ERPやプロジェクト管理といった土地勘のあるテーマについて,最新動向や事例などを20〜30分ほどで話すというものだ。正直言って,筆者にとって最もやりたくない仕事の1つである。毎回必ず,アガってしまうからだ。
イベントのプレゼン会場では,多いときには100人を超える方が聞きに来られる。小心者の筆者は,それだけの人を前に話すことを想像するだけで,本番前から緊張してしまう。時間が近づくにつれて心臓がドクドク鳴り,なぜか指先が冷たくなる。喉はカラカラ,声も微妙に震える。時間になって壇上に立つと,半ばパニック。手元の資料に書き込んだメモを頼りに,とにかく話を進める。しばらくして落ち着くまでは,それで精一杯と,いつもこんな感じだ。
筆者同様,プレゼンでのアガリを何とかしたいと思っているITエンジニアも少なくないはず――。こう考えて,日経ITプロフェッショナル8月号(8月1日発行)でプレゼンテーション・スキルに関する特集を担当した際に,臨床心理士からアガリのメカニズムと対処策を学んだ。自分自身,大変に参考になったので,ここで紹介したい。
まず,アガるとはどういうことか。実はアガリの症状は,ヒトの遺伝子に刻まれた防衛本能だという。太古の昔,私たちの祖先は猛獣に襲われる弱い存在だった。闘って猛獣を倒すか逃げ切るかできなければ,死が待っている。そこで猛獣などの危険を察知すると,ヒトの体はアドレナリンなどのホルモンを大量に分泌して,臨戦状態に変化する。
心臓がドクドクと鳴り大動脈の血流量が増えて足や背中,腹など大きな筋肉に血を送り込む。筋肉はこわばってしなやかではなくなるが,半面,火事場の馬鹿力が出やすくなる。このとき肺が,こわばった周りの大きな筋肉に圧迫されるので,呼吸が浅くなる。一方でケガをしたときの出血量を抑えるために,毛細血管が収縮して血流量が減る。だから指先が冷える。
アガリの状態は,これと同じだ。猛獣と闘うわけでもないのに,体は勝手に臨戦状態に移行する。馬鹿力を出すという,プレゼンにはまったく不要な運動機能が最優先されて,しなやかな動きが失われ,息が荒くなる。おまけに脳への血流が絞られるので,頭の働きも鈍る。臨戦状態への移行が遺伝子に刻まれたヒトの本能であるため,プレゼンが上手くできるかどうか不安を感じる限り,必ずアガる。それはヒトとして自然なことなのだ。
つまりアガリをなくすことはできないが,軽減する方法はある。といっても「人」という字を手のひらに書いて飲むといったおまじないではない。臨床心理学でいくつか提唱されている科学的なアプローチだ。手軽に実践できるものは,「呼吸法」「イメージ・トレーニング法」「筋リラクセーション法」の3つである。
呼吸法とは,簡単に言えば深呼吸をすること。深呼吸すれば,気持ちが落ち着くことは,誰でも経験的に知っているだろう。それだけに「そんなこと言われなくてもやっている」と思うかもしれない。しかし実際には深呼吸をしているようで,できていない人が多いという。アガった状態で大きく息を吸おうとしても,こわばった筋肉がじゃまをしてしまうからだ。
そこで重要なのは,息を吸うのではなく,逆に吐き切るようにすることだという。思い切り吐けばその分だけ自然と吸うから,深呼吸になる。
2番目のイメージ・トレーニング法は,プレゼンが上手くいく光景をできる限りリアルに,頭のなかで思い浮かべること。スポーツ選手などが良くやる方法で,擬似的とはいえ一度体験しておけば心の備えができるので,潜在意識下の不安を緩和できるという。イメージ・トレーニング法を行うコツは,プレゼンの冒頭や大事なメッセージを伝えるところなど,不安を感じる場面を繰り返しイメージすることだ。電車やお風呂など時間を見つけて,何度も実践するとそれだけ効果が高まる。不安が少なくなれば,必然的にアガリの度合いも小さくなる。
図●筋リラクセーション法のやり方図をクリックして拡大表示。日経ITプロフェッショナル2004年8月号,51ページより 筋リラクセーション法は,その名の通り,筋肉をリラックスさせることだ。先に,アガった状態では筋肉がこわばると説明した。逆に筋肉をリラックスさせると,アガリが軽減される。臨床心理学の実験で,この体の仕組みの存在は証明されている。ただしアガリの状態でこわばった筋肉をリラックスさせるのは簡単ではない。意識的にダランとさせているつもりでも,多量の血液とアドレナリンなどが流れ込んだ筋肉はこわばったままということが多いからだ。
そこで逆に,思いっきり力を入れて筋肉をさらにこわばらせる。寝起き時の伸びと同じ原理で,力を入れて抜くと,筋肉をリラックスさせることができる。この方法は,胸や背中などの大きな筋肉ごとに行う。息を吸って10秒間,筋肉に力を込め,緩めながらゆっくり息を吐くのが基本だ。筋肉ごとの詳しいやり方は,図[拡大表示]に示した。
筆者はまだこの方法を実践する機会を得ていないが,アガリが生理現象であることがわかり気分が楽になった。これからは「アガるなんて情けない」と自己嫌悪せず,前向きに対処策に目を向けようと思う。
もちろんアガリを克服できたとしても,それでプレゼンのスキルが高まるわけではない。特集の取材では,プレゼンの講師やIT企業のなかで自他共に認めるプレゼンの達人など22人の方に話を聞いた。彼らが口をそろえてスキル向上に不可欠だと言ったのは,「何かを伝えたいという熱意を持つこと」と「場数を踏むこと」だ。さらに,“実践的なセオリー”を身につけてから場数を踏めば,段違いに速くスキルアップできる,という指摘も多くの取材先から受けた。
ここで言う“実践的なセオリー”とは,「プレゼンの現場では,聞き手のほうを向いて話さなければならない」といった単なるお題目ではない。「スクリーン側の手で指示棒を持つことで,自然と体が聞き手のほうを向くようにする」といった実践可能なノウハウのことである。
日経ITプロフェッショナル8月号の特集では,プレゼンの達人や講師の協力を得て,そうしたプレゼンの“実践的なセオリー”を集大成した。さらに「プレゼンの直前に時間短縮を要請された」「急に代役としてプレゼンをすることになった」といったピンチを切り抜けるノウハウも盛り込んだ。プレゼンが苦手の筆者自身,参考になることばかりだった。ぜひお読みいただきたい。
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[ 245] なんでも「あとでやる」としてしまう人が知るべき10個の真実 - GIGAZINE
[引用サイト]  http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070706_procrastination/

仕事の成功を妨げる原因はいろいろありますが、中でも最も頻繁に見られるのが「あとでやる」「あとで読む」「またあとで」というようにしてどんどん先送りにしてしまい、結果的に大きく遅延させてしまうというもの。
この先送りする習慣がついてしまうと、なんでもかんでもとりあえずスルーしてパスして、条件反射的に「またあとでやるから」というようにして自分で自分をごまかし続け、最終的には自分自身の仕事の業績、そして信頼などに跳ね返ってくるわけです。なんとかしなくては。
なんでもかんでも先送りにしてしまうのはセルフコントロール、自己調整の問題であり、特に米国ではその傾向が強いそうです。いわゆるお国柄というやつですね。
また、先送りにする際の「理由」はただの「弁解」であり、言い訳にすぎないのでその弁解を誰も真剣に聞こうとはしなくなる、と。周囲からの評価が下がり、「あいつはああいういい加減なやつだ」という評価になっていくわけですね。
意外なのですが、すぐにスルーして「あとで見る」「あとで読む」「あとで返事する」「あとでやる」としてしまう人は時間の見積もりができない人というわけではない。ちゃんと何をするのにどれぐらいの時間がかかるのかはわかっている。しかし、ほかの人々に比べて余りにも「楽観的すぎる」そうです。
先送りする原因は生まれ育った家庭環境にもあるということ。権威主義的な子育てのスタイルの家庭で育つと起こりやすいそうです。
つまり、両親のうちのどちらかが権威主義的で、厳しく自分の子どもをコントロールしようとして、それがあまりにも強すぎるので子ども自身が自分で自分を律して調整する能力、自分自身の意図した行動の結果によって何が起きるかということを学ぶことができなくなってしまう、と。そしてそういう親からの支配に対する「反抗」という形で「先送りにする」という行動が出てくるそうです。
先送りする人はこの家庭環境があるが故に、家族よりも友人の影響を受けやすくなり、そしてこの友人たちによってさらに先延ばしにする習慣が強化されるとのこと。なぜなら、この先延ばしにすることを許容してくれる人、そして先延ばしにする言い訳を許容する人を友人に選んでしまうため。悪循環の開始です。
先送りにする人は要するに自己調整、セルフコントロールができない人なので、必然的に飲酒なども適量で済ますということはなく、結果的にアルコールを他の人よりも大量に摂取してしまう結果になるそうです。アルコールに限らず、薬物乱用などにも同じように陥りやすいらしい。
自分の嘘をつく感覚を守るために「これは重要ではない」というように自分に言い聞かせるそうです。そしてさらに別の嘘として、締め切りが迫ってくるプレッシャーがあるときほどよりクリエイティブになれる!などというようなことを考えてしまうらしい。
例えば「今は明日にコレをやりたい気分だ」「期日が迫ってるプレッシャーがないと仕事をする気になれない」などというようにして自分に嘘をつく。しかし実際には次の日にやるという気分でもないし、プレッシャーがあればいい仕事ができるわけでもない、と。結果的には無駄に時間を浪費しているだけというわけです。
自分の注意を本来やるべき事からそらすことによって、本来やるべきことをやって失敗するという恐怖から自分の感情や自分自身を保護してしまうそうです。
例えば、電子メールを必要もないのにこまめにチェックするなど。本来やるべき仕事よりも電子メールが何か来ていないか?ということの方が非常に気になるというわけです。試験前に掃除したくなるという人をちらほらと見聞きしますが、あれも同じ理屈かも。いわゆる現実逃避。
・覚醒タイプ:危機的状況まで何もしないことにスリルを感じる人。締め切りぎりぎりで大あわてで仕事をこなすことに幸福感を覚える。締め切りぎりぎりまで先延ばしにして超特急で仕事をこなし、終わってから「ああ、いっぱい仕事した〜♪」というような感覚を覚える人のことです。つまり、ぎりぎりまで放置した反省がどこにもない。
・回避タイプ:失敗する恐怖を回避するため、もしくは成功する恐怖を回避するために先延ばしにしてしまう人。これは決して能力不足なのではなく、努力することを怠っているのが原因らしい。いわゆる「やる気になってやればできるのに」という人。
・意思決定不能タイプ:決断ができない人のこと。決断することによって発生する出来事の結果を恐れるため、意思決定することを先延ばしにしてしまう。
先延ばしにする人は要するに自己管理能力も低いため、結果的に健康に対する害も大きいそうです。風邪やインフルエンザにかかりやすく、胃腸障害も発生しやすい、それどころか不眠症にもかかりやすい、と。それだけでなく、先送りにして遅延させた結果の責任を他者に転嫁するため、仕事のチームワークを乱し、私的な関係をも破壊してしまう、と。確かになんでもかんでも先送りにし続けるような人がいれば仕事は進まないし、約束も期日通りに守ってくれないのであればプライベートでも頼りにはされなくなるので必然的につきあいが疎遠になっていくのは当然か……。つまり、あまりにも多くのコストを支払ってしまうというわけ。
ではどうすればこの先延ばしにしてしまう自分を変えることができるのか?変えるには多くの精神的なエネルギーが必要ではあるが、「認知行動療法」によって改善可能だそうです。
なんでも「あとでやる」としてしまう人が知るべき10個の真実 これに関しては常に意識してやってる、後回し程人生の損失が酷いことは身にしみて実感してるもので。 わかっててもできない、これが皆の心理だと思う。オレもなかなか難しいなって感じる。
仕事の成功を妨げる原因はいろいろありますが、中でも最も頻繁に見られるのが「いまやる」「いま読む」「たったいま」というようにしてどんどん手を付けてしまい、結果的に何も完了できないというもの。
「なんでも「あとでやる」としてしまう人が知るべき10個の真実」。仕事の成功を妨げる先送りの習慣について、アメリカとカナダの先生がまとめたものだそうです。
皆さんごきげんよう、テスト直前期において絶賛現実逃避中の鵲です。すでに昨年留年してしまったわしですが、今年は気合いを入れ直し、勉学に励んできたわけですが…どういうわけか今年も留年フラグに向かって一直線でありま
メインキャラに女の子複数を据えた学校の日常モノの漫画は数多く出ていますが、(良い悪いは別にして)単なる萌え系の域を脱していないものも少なくありません。
ソーシャルブックマークの分類タグにも『あとで読む』なんてタグがありますよね。とにかく『あとで読む』、ブックマークをしていても、後で読まなかったり、そのまま埋もれていったり・・・GIGAZINEに興味深い記事がござい

 

[ 246] 同人女三十路散歩:オタクがキモイと言われてしまう時 - livedoor Blog(ブログ)
[引用サイト]  http://doujin30.livedoor.biz/archives/52024751.html

私は若くして両親ともを病気で亡くした。母が先に逝き、2年後父がそれを追うように逝ってしまったのは私がまだ大学生の頃だった。ってまあそれは前置きなんでどーでもいいんですけども。
父はとあるジャンルのマニアだった。まあ今だったらオタクと言っていいだろう。おかげで父亡き後には押入れ一杯の関連書籍が残された。正直困った。私にも兄弟にもさっぱり興味が無いジャンルの膨大な本たち。ただし私も兄弟もオタクだった。オタクの子はオタクなのだ。オタクの本に対する愛着執着はよーーーーくわかっていただけに無碍に捨てる気にもならず、主をなくした本たちは長いこと押入れで眠りについていた。
そんなこんなで月日は過ぎて父の十三回忌も終わったころ、兄弟の結婚を期に我が家も色々事情が変わり、自宅の整理をせねばならなくなった。押入れ一杯の本もどーにかせねばならない。押入れたるもの永久の安息の地ではない。家がなくなれば押入れもなくなるのだ。しかし私にはさっぱりわからないマニア書をどう処分したら良いものか。もう面倒だからまとめて捨てちゃおうか。悩んだ挙句私は痛みの激しい本や雑誌類のみを資源ごみに出し、比較的状態の良いものについてはヤフオクに出品する事にした。相場がまるでわからないので全て50円〜100円スタート。価値がわかる人、それらを欲してくれる人の手元に渡るなら金額なんてどーでも良かった。
数回にわけて出品しているうちにそれらはぼちぼちと落札されていった。競り合いで数千円になる本もあれば、いつまでも回転寿司になっている本もあった。まあそんなもんだろーと思いつつ少しずつ出品を重ねていったある日、少々古ぼけたなんだかよくわからない専門書をいつものように100円で出品したところ、そのオークションは今までとは違った動きを見せた。ものすごい勢いでウオッチリストがつき、これまたものすごい勢いで入札が付き出し、なんだかすごい金額で落札されてしまったのだ。なんだなんだ。何が起こったんだ。激しく驚愕した私は落札者にメールで(その時はまだ取引ナビではなくメールのやりとりだった)「この本には何かあるのですか?」と聞いてみた。返ってきた答えによると、その本はその道のマニアには「バイブル」と崇められているのだが、小さな出版社(現在はない)からの極少数部の発行だった為、現在幻とされている本なのだという。ヤフオクなんかにヒョイと出てきたので見つけた時はこっちが焦ったと彼はメールで語った。私は彼に「実は亡くなった父の本で、捨てるつもりだったのだがもしかしたらと思ってヤフオクに出してみた。結果貴重な本だったとわかり、捨てなくて本当に良かった」と返事を出した。落札者の彼からは「亡くなったお父様の代わりに僕が一生大事にします」と返信が来た。ネットオークションでこんなこともあるんだなー。わからないからって捨てなくて良かったなーと、私にとってこれは美談の思い出となった。蛇足だが、その後他の父の本にはそれほど高額落札になったものはなかった。貴重だったのは1冊だけだったようだ。それでもたとえ最終的に10円落札になった本でも、欲しいと思ってくれる父と同じ趣味のマニアの人の手に渡る事が出来たのならそれはそれでいい話だ。きっと父も喜んでいるに違いない(たぶん)。
先日、以前職場で同僚だった私と同じ年齢の友人と食事をした。すると彼女もまた、現在家の中を整理せねばならなくなって大変なところなのだという。捨てちゃうならリサイクルなりオークションなりに出してみるのもいいよという例のつもりで上記の話をしてみた。落札者からの最後のメール(亡くなったお父様の代わりに大事にします)のあたりのくだりを聞くと、彼女は開口一番こう言った。
わかっていたつもりだった。オタクと一般人の間には深くて広くて長〜〜〜〜〜〜〜い川が流れていて、両者は永久にわかりあえることはないのだと。しかし上記の話なんか普通に一般的に美談で通るんじゃないかと思ったのだ。私の認識はまだまだ甘かった。「キモイ」と言った彼女は悪くない。きっと素直に感じたままを声に出しただけだ。オタク特有の物や本に対する愛着心や、共通の趣味を持つマニア同士の密かな連帯感など知るよしもないのだろう。私が思うよりはるかに、オタク性質の人間とそうではない一般人の間の川幅は広かったということだ。
私の文章がわかりにくかったようなので補足しますが、友人はその趣味そのものに対して「キモ」と言ったのではなく、『見ず知らずの人の遺品を一生大事にする』と言った事に対して「キモ」という感想を持ったのではないかと私は感じました。(それも私がそう思っただけで違うかもしれないんですけど)
また、別に彼女が「キモ」と言った事自体は悪いとも間違っているとも私は思いません。単純に彼女はそう感じたと、それだけだと思います。そして私は「キモイと感じるのか」と思うと同時に「自分の趣味のコレクションは、自分の死後はその価値をわかってくれる人に受け継いで欲しいと思うマニア心がわからないなら、根本的にわかりあえないな」と思ったということです。
ちなみに父の趣味は広義ではてっちゃん(鉄道マニア)です。その本が何のバイブルなのかの説明はマニアックすぎて私にはさっぱりわかりませんでした(笑)
家族の中で唯一のおタクなんで、迫害には慣れてるし、いい年になって開き直ってきたから職場でもなんとなく「オタク」を隠さなくなってきた。
でも、親しい同僚から「キモ」って言われたら、やっぱりオタクはとことん隠れるべきかと悶々考えてしまいそうだな。グルメは受け入れられるのになんでオタクは駄目なのさ……。
思ってっても口に出さないで!って言いたいけど、言ってくれる方が親切なのでしょうか?あれ?悩むなあ・・・
大変参考になりました。その「〜大事にします」って、オタクがやむを得ない事情でモノを手放す時に一番聞きたい言葉で、本当に良い話だと思うんですけどねえ。
今時の「キモー」はそれなりに幅のある表現なので、深い意味は無いのかもしれません、いやせめてそう思いたいです、いちオタクとして。
オタクと一般人の間の川は確かに深くて広いとは思いますが、果たしてどれだけの人が自分はどっちの河岸に属するか認識しているのか…
人によって確かに価値観は違うもんですが、オタクを何でもかんでも敵視する方々はどうなんでしょうね〜〜。
凶悪犯罪があればアニメ・ゲームの影響か?ってのもどうかと? 影響が全く無いとは言えませんが、TVや新聞のあのいかにもオタク=犯罪予備軍的な物腰はちょっとね〜・・・
一生大事にしますだなんて言葉、本も買った人も持ち主だったお父様も、みんなが幸せになれる言葉ですよね。
コレクターにとってはそれよりもその物自体が目的ですからいいですが、これがコレクションの対象になる特別なものじゃなくたとえば古着等を父の遺品ですがってオクに出してたら買い手はつかないでしょうしw
あとお話のほうは良い話でした、故人の物は昔から捨てたりしまっておくより、大切にしたり使ったりした方がいいっていいますから、いい結果になってよかったですね
非オタからみたら「らき☆すた」は子供向けアニメに見えるらしい、とか言う記事をさっき読んだばかりでして。
私(達?)から見た場合、そのご友人が何処に対して「キモい」と感じたのかが分からないのも逆の意味での溝なんでしょうね。
遺族の方に対して「へっへっへ、転売で儲けさせてもらうぜ」なんて言う人間はいません。「大事にさせていただきます」というのは社交辞令として常套句(もちろん、マニアならば真意でもあるでしょう)ですし、そういう出来事を聞かされたら、「ちゃんとした方に引き取ってもらえて良かったね」と返すのが社会人、大人としての常識だと思うのですが。
コメにある軽やかに生きてる人、というのには同意なんですがやっぱり少々語彙が足りないとも感じますね。
ふと普通の方が「キモい」といわれる境界はどこなのだろう?という疑問が浮かび、会社の人と話たことがあります。偶然、こちらをみかけたのでそのときの結論をかかさせてもらいます。
多分お金をもらうようになると、「キモ」にならないのではないでしょうか?文化的にぬけるのは難しいですが。
オリンピック選手などの練習などは、よく考えると恐ろしい練習量と、食事制限、ドーピングぎりぎりの栄養摂取などがありますが、美化されていて何もキモいと思われていません。 しかし、新しいアイデアを出して世間一般に認められるため活動をしていても、理解されなければ「キモ」になります。
例えば、朝の子供用アニメ「プリキュア」なども大の大人(男)が作っているんですが、特にきもいと思わない・・と思います。
また、それを作っている人を知らない状態で、喫茶店などでアニメアニメした絵をかいていたところを見たら・・・。逆にその人がアニメを作っている人としっていて見たら・・・どうでしょう。
キモという発言をする方は、偏見がある傾向があると思います(もちろんそれは「悪い」という意味ではありません)。女性雑誌などの記事は、基本スキャンダルなどの情報が受けられます。
とりあえず、理論思考でかいているのでこの文章と、書いている私はキモい と思われていると思いますw
ナンバーワンよりオンリーワンの歌をどう認識しているのがしりたいです。オンリーワンは結構キモいと思いますw 多分なにも思ってないと思いますがw
何かに長い期間をかけて打ち込んでいればいつしか人にマニア、オタクと呼ばれることでしょう。それは誇るべきことだと私は思います。
自分の理解できないものを全てキモいものとして1ミリも受け入れない連中は確かに存在しますが私はそんな連中の存在のほうが理解に苦しみます。
打ち込むものがあるから人は楽しく生きていける。理解はできなくてもそこまで打ち込んでるものがあることに敬意を表するべきだと私は思います。
他の方のコメントをお読みしまして「友人」批判が多いのに少し驚きました。これもオタと一般人の溝なんでしょうかw まあ私もオタですけど。
「キモー」発言は確かに配慮と品位を欠く発言ですが、「お下がり」文化も廃れて子供がブランド服を欲しがり、新古書店なんていうのが乱立する時代、「蒐集」に関しては理解されにくい時代になっていくのかもしれません。それが「一般」の感覚というかは別として。
お父様の遺品と落札された方の件は美談だと思います。お父様の大切にされていたもの、大切にしてくださるという方に無事譲られてほっとされたでしょう。本の価値は分からなくてもお父様の趣味を受け継げたことが本当の理解であり親孝行ではないでしょうか。そういうことがあるから蒐集って面白いんですけどね。
おたく=キモイ、というような、演繹的に確立された嫌悪感情ですらないところから発された言葉ではないか、
昔でいうような「情のこもったやりとり」を、見ず知らずの人と交わす。ということ自体が、もうすでに「キモイ」
こういう二枚舌で屁理屈で偏屈な人間がオタクには非常に多く、そこが気持ち悪いと言われる所以でしょうね。
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