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せいぜいとは?/ セントラルファイナンス

[ 443] 豚どもよせいぜい輝け
[引用サイト]  http://blog.murablo.jp/pigsmayshine/

ジョレスはぼくの敬愛する社会主義者だが、修正主義に近づいていった。エリーゼ宮のイタリア国王夫妻の祝宴席に出席している。彼の弁「国家は改革によって中から変えられる」これは日本共産党の提唱する「資本主義の枠内での改革」に似ている。また仄聞するところによれば、共産党は、皇室外交の宴席に招かれているそうだ。ぼくは修正主義それ自体は否定しないが、では日本共産党も修正主義か。
余談だが、ぼくのフロントエンドプロセッサはをばをを場と変換する。古文にも対応するソフトをつくってくれたらいいのに、と思う。
インディアンというのは、差別用語で、ネイティブアメリカンと公の席では呼ぶべきである。歴史上の言葉として用いざるをえなかった。この年、白人との最後の武力衝突が起こった。
この歌は苦肉の作である。マハンは海洋覇権国家をとなえて、米国に巨大な海軍をつくってくれ、と主張し成功した。
縄文時代、狩猟採集して集めた食料は、自然からの「盗み」であり,農耕が始まってからは、生産物は大地からの「盗み」になった。江戸時代、魚の行商人はどうだろうか。彼の財産は盗みだろうか。そういう要素は否定できない。暴利をむさぼれば「盗み」だし、たとえ、暴利でなくても、彼自身が明日また魚を仕入れるための体力を維持するコスト以上の価格で売っていれば、「盗み」と言える。マルクス主義経済学では、この「自分で額に汗して稼いだ金」と「盗み」の「価値」を計算できない。
「私を支配すべく私に手をふれる者は何人であれ、簒奪者であり、専制者である。それは私の敵だと宣言する」
「人間による人間の統治は奴隷制であり、その法律は富める者にとっての蜘蛛の巣、貧しき者にとっての鋼の鎖」
土葬のころ、人間は自然から盗んだ財産を、また土に返していた。しかし、火葬で木を使うときや、化石燃料を使うときは、やはり自然から富を盗んでいる。
余談だが、東京の零細会社に勤めていたとき、いつもは百五十円のパンですませる昼食ではあったが、豪勢な気分を味わいたいため、焼肉屋さんの定食を食べたとき、となりの席にすわっていた二人組のうち、片方の女が、「あたし自分の葬式だけはものすごく金かけたいと思っているの」と言うのを小耳にはさんだ。
なんという人だ、と思った。子供に金を残したいのならともかく、自分の金は、生きているうちに使って楽しんだ方がいい。
人は死んだらそれで終わりだ。地獄もない。天国もない。生まれ変わりもない。だからこそ、人生はいいのだ。
ピアニストは長寿でぼけないと言う。指を使っているせいだ。ぼくも大量の文章をブラインドタッチで毎日書いている。だからぼくはたぶんぼけずに長生きできると思う。貧乏を楽しんで、長生きしたい。

 

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