主導とは?/ セントラルファイナンス
[ 66] 本田雅一の「週刊モバイル通信」
[引用サイト] http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0126/mobile363.htm
この記事を読んでいて驚いたのが、COGに関しての認識が振り出しに戻りつつあることだ。COGは世代管理を行なう技術であり、解釈を変更すれば2回以上のコピーが行なえる。このことについて、総務省はインテルが指摘するまでCOGのままでコピー回数を増やすことができないと思っていたとコメントしている。 だが、「COGのままで“技術的に”コピー回数が増やせるのなら、展開は変わってくる」とするこの議論。冷静に考えてみると、少々違和感がないだろうか。COGで2回以上のコピーを許すか否かは、記事中にあるような技術論ではなく運用ルールに関するものだからだ。 またCOGの運用既定を変更したとしても、消費者が望むような自由な運用が望めるわけでもない。インテル自身、記事中で「COGのままコピー回数を増やしたり、制限をなくすのは次善の選択肢」としている。COGのままでのコピー回数増加は、決してベストな解決策ではない。 そもそも、なぜコピー回数制御が今まで行なわれていなかったのか。振り返ると、デジタル放送時に挿入されるコピー制御フラグの扱いが起源だ。コピー制御フラグは2bitしか割り当てられていない。つまり4つの状態を示すことができるわけだが、コピー禁止とコピー許可を引くと、残りは2つしかない。その1つがCOGであり、もう1つがEPNだ。EPNはコンテンツを暗号化することでインターネットでの再配布は防止しつつ、複製はほぼ自由に行なえる運用形式。 COGは世代管理を行なうためのフラグであり、別のメディアや装置に複製後、さらに世代を重ねてのコピーは行なえない。では、これがなぜ今のコピーワンスになったかと言えば、世代管理だけでは最初の録画データから、何枚でもコピーが作れてしまうからだ。 そこで“運用ルール”として、COGフラグのついたコンテンツは、それ以上、数が増えないようにしましょう(実際には、そうしたルールを強制されたに近いようだが)ということになった。その後、2回にしてもいいのでは? といった議論もあったから、決して「インテルが指摘するまで明らかではなかった」ような秘密ではない。 COGの運用ルール変更は、HDDレコーダならばファームウェアアップデートで可能だろう。しかし、無数にあるハイビジョンレコーダのファームウェアをアップデートするというのは、あまり現実的な話ではない。 「メーカーがコスト負担を下げるため、説明なしにEPNを推進した」との批判もあるようだが、現実的には全製品をアップデートというのは不可能だ。中にはアップデートでの対応が行なえない機種もあるかもしれない。デジタル放送の光ディスク録画が可能なPCなら、ソフトウェア更新で対応できるだろうが、利用者全体から見れば少数派だ。 結局、COGの運用ルール変更を強行したとしても、最新あるいは最新に近い機種を持つ一部ユーザーと新規購入者のみしか救えない。これまでにデジタル放送対応レコーダが何台販売されてきたのか。その機種数はいくつになるのか。それらのファームウェアを書き換え、テストを行ない、再配布する作業がどれだけの規模なのか。それらを想像せずに、簡単に批判しても仕方がない。 COGの運用ルール変更という選択肢に、審議会のメンバーがやっと気付いたことは、閉塞した議論のまま停滞した状態から比べれば一歩前進なのだろうが、“EPNでなくてもかまわないじゃないか”という空気になってきているのだとしたら、むしろ“議論の後退”のように感じる。 1個目のコピーは光ディスクに保存し、もう1つは再圧縮してSDカードやモバイルデバイスに保存。残りの1回をバックアップとして光ディスクに保存する、あるいは編集してダイジェスト版ディスクを作成、もしくはHDD上に残していつでも見れるようにしておく。そんな使い方ができれば、もちろん、今よりは遙かに運用が楽になる。 しかし、長い間、録画保存をしてきたユーザーならば、何年かして、以前に保存しておいた光ディスクを発見。なんてこともあるはずだ。しかし、そんなときにコンテンツを光ディスクからレコーダに吸い上げ、再編集して新たにディスクを作り直す(あるいは予算の都合上、仕方なく1層ディスク2枚に記録していた番組を、2層ディスクにまとめ直したいといったことも将来はあるだろう)ことは、COGを使っている限りできない。 COGの運用規定を変更しても、コピー数が増えるだけのことで、根本的な運用の幅が拡がるわけではないのだ。それでも“ずいぶんマシ”だが、“ずいぶんマシ”なだけのルール変更に大きなコストをかけるのであれば、やはりEPN採用の方向で検討していくべきだろう。 PCユーザーにとっても、EPNの方が、よりPCの能力を活かしやすいという点で優れているのは間違いない。PCの良さは、なんといっても細かな編集作業やタイトル名入力などをやりやすいユーザーインターフェイスと、大きく高解像度なスクリーンをフルに利用できる点。それにコンテンツに対して、より柔軟な操作を行なえることなどだ。COGの運用規定を変えただけでは、将来、フルHDコンテンツを自由自在に扱えるほどのパワフルなPCが一般化した時に、その可能性の芽を摘む制限となりかねない。 もちろん、放送局側の心配は理解できないわけではない。コピーワンス制限を設けている今と、もしEPNを採用した時とでは、特に映画会社などとの放映権契約でコストが上がる懸念がある。自社管理するコンテンツの場合も、DVD再販などさまざまな面でビジネスに影響が出る可能性がある(もっとも、日本の放送局が作るDVDは、総じて非常に高価であり、あまり影響があるとは思えないが)。 しかし、EPNはすでに米国での運用実績がある。しかも、EPNはCOGと同じように以前から決められている運用ルールなので、ARIBの規定に従って開発された機器ならば、特に変更なく動作するはずだ(なにぶんにもテストされていないので、一部にはアップデートも必要だろうが)。 米国はデジタルハイビジョンTVの普及において、とっくに日本を追い抜いており、今年中には5,500万世帯に達すると予想されている。その米国において、EPNがうまく機能していない、コピー天国になっている、などという話を聞いたことがあるだろうか? コピーワンス問題は、すでに放送局、家電メーカー、IT企業、消費者、それに総務省が強い関心のもとに解決しようと議論しているが、これが1度「COGの運用規定緩和」という結論に落ち着いてしまうと、さらにもう1回、議論し直しましょうと言い出しても、なかなか大きな話題にはなりにくいに違いない。 鉄は熱いうちに打てというが、今まさに白熱している議論だからこそ、“コンテンツを利用する側”はEPNにこだわるべきだろう。 |
[ 67] これって,編集主導型の漫画編集に対する批判なのか? - WebLab.ota
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20080610/1213110704
新條まゆ(まゆたんブログ:思うこと。)の乱入によって事態が悪化したようなんだけれど,とりあえず整理するところからはじめる. 最初は本当に非協力的でケンカ腰でしたが、私が一度怒りをぶつけてからは、しっかりと一緒にガッシュを作ってくれる人でした。 酒井ようへい先生の担当編集で、冠茂氏の言う通り描かされ、酒井先生が、自分の描きたくないストーリー展開に抵抗すれば、「死ね!3流漫画家!」と、作画中に電話で罵倒され、後半はそれに対する酒井先生の抵抗もつらくなり、冠茂氏の言うまま描くも、お話を無茶苦茶にされ、人気も上がらず、最後引っ掻き回したお話を収集しないまま、別の編集者へ担当を変え、責任も取らず冠茂は逃げる。酒井先生はその引っ掻き回したお話を収めるだけで初の週刊連載を終わる事に・・・ このお話は当時の酒井先生が何度か自分の所へと相談に来ていたので、覚えている話です。本当に「道具」扱いである。 という風に,編集主導型の漫画編集のあり方に対する批判(要するに,漫画家の描きたいものを描かしてくれない!自由な創作活動ができない!編集者が漫画家を道具のように扱う!というもの)も出てくる. 切り口を変えただけで(「私,脅されたんです!!」とか「ちゃんと一緒に作ってくれない!真面目に仕事してくれない!」),結局編集主導型の漫画編集に対する批判なんだろうか. 「これ以上、出版社(集英社)に無理やり従って連載を続けても、同じことを、読者が飽きるまで繰り返すだけになる」為に「そうなる前に、半ば私のわがままで止めた。」 良いか悪いか別として、漫画雑誌の編集者ってそんなものじゃないのと言う印象を持っていたからだ。いや私も吾妻ひでおの「失踪日記」読んだ時はさすがにショックだったが。 ですよね,失踪日記とか編集王とか燃えろペンとか読んでれば,別にそれほどショックを受けないと思うんだけど. 雷句誠氏はどうかわからないけれど(文章からは作品同様かなり熱い方であるようだ),新條まゆはどうしても,計算しているようにしか思えない. 描かれている漫画やテレビ出演時などから直感的な推測をすると,内田春菊や西原理恵子的なあざとさも持っているし,赤松健的なあざとさも持っている人間のように思う. 「マンガ家は、人間的にできていなくてもやっていけるが 編集は人間的にできていないと、やっていけない」 2008/06/11 01:27 こんばんは。>結局この問題って編集主導型の漫画編集に対する批判なの?ウチでもこれについてはちょっと触れているんですが、一般の方や編集者でもフリーやマイナー出版社の編集さんだと判りにくい問題なので、そういう風に結論づけるというのは判らなくはないですが、根本的なところでお二方が言っているのは「マンガをまともに作る能力のある編集者がいなくなった」ということだと思います。(更にいうと、逆に漫画家を殺しかねないダメ編集が増えたということでもある)編集主導で作品を作ること、もしくは作家にいいアイデアを提供して作品の質を高める、雑誌の方向性に合うように助言をするなど、当たり前なのですから。そこを履き違えると、問題が別の方向に(例えばサンデー批判や、大手出版社たたきに)いってしまって、本質を見失うような気がします。じゃあサンデー編集部に問題があるとして、マガジンやジャンプと何が違うのかというと(これは憶測ですが)そういうマンガを作ることに情熱と能力のある編集者の数と質の問題じゃないかと思いますが‥‥ 2008/06/11 01:31 新條まゆのあざとさが天才的、というのも今更な気がしますがwなんと言ってもスマスマ出演でイメージを180度転換させたりする人ですし。まあ「女性の話を素直に聞くことの危うさ」という感じもしますけどねwただ、一つ言える事は、そんな『あざとい女』が参戦してくるぐらい、外からの見た目よりも今回の件は『漫画家有利』の展開なのかもしれない、ということです。まあ、『キャラクター原案:新條まゆ』なアニメが出てきたらそれはそれで面白いので新條まゆには期待してますがw 2008/06/11 01:55 >そこを履き違えると、問題が別の方向に(例えばサンデー批判や、大手出版社たたきに)いってしまって2chやはてなの一部はすでにサンデー批判にいってますね〜(これが一番問題だと思ってる基本的に私は,この問題を「大して新しい話でもない(サンデーに限った話じゃなくて,よくある話)」と思ってるんで,それを編集主導型問題として整理するか,「最近の編集者は〜」問題として整理するか…ですかね?>新條まゆいや,ネット界隈の人々は結構信用しちゃってるんですよね.彼女の話を…ブログだけみればカッコいいかもしれないけど若手漫画家や苦しんでいるクリエイターのために大手編集社にタテつく!!みたいに見えるかも知れないけど(穿った見方をしなければその通りなんだけどw……でもなぁ〜 2008/06/11 21:38 >結局この問題って編集主導型の漫画編集に対する批判なの?違うと思いますよ。仕事相手にパワハラ・モラハラをされ、相手を信頼して仕事できない状況で我慢していた人が、声を上げたということでしょう。しかも、パワハラ・モラハラしてくる相手が能力がないという状況は本当に気の毒です。ブログ主さんは勘違いされているようですが、編集が漫画家をコントロールすること自体は悪いことではないし、書き手側もそれを了承していますよ。問題になるのは悪しきコントロールだけです。雷句氏へのコントロールは、相手の自尊心を踏みつけるような示威行動で、一般の会社ではとても問題にされることでしょう。昔からある問題で、普遍的なものですが、「これも修行の一環」と作家や漫画家たちは耐えてきた。しかし、それは間違っているんじゃないかと声を上げたことに、今回のことは意義があるのだと思います。会社員でも上司によるパワハラ・モラハラがありますが、それと同じような、あるいはある意味もっと深刻な状況で創作活動を続けているという作家がいるということでしょう。自分も似たような仕事をしていますが、編集と作家は一対一で仕事をすることが多いのに、その唯一絶対の相手を信用できないという苦しみが滲んでいるのが気の毒です。新篠さんは好き嫌いある作家だと思いますが、今回のブログの文章に関しては突っ込みどころは何もなく、至極冷静にもっともなことを書いているだけだと思います。そんなに突っかかることはないと思いますけどね。援護射撃だけで、実際加わっていないわけですし、彼女の文章に信憑性があったから、信用する人も多かったというだけでしょう。 2008/06/11 22:01 トラックバックありがとうございました。今回の編集問題ですが、サンデーが面白くなくなった、つまらなくなったと言う事で編集の無能さを考えている所に問題があると思います。編集者に取って、一番重要な事は、売れる雑誌を作るという事なので、売れる雑誌を作れたかどうかで評価されるべきだと思います。売れさえすれば優秀な編集であり、雷句先生がサンデーと袂を分かった事は、単なる方向性の違いの現れだと思います。誰も売り上げを気にしないで議論しているのが、個人的には不思議なのですね。 2008/06/11 22:03 個人的には、サンデーが面白くなくなったのは、それこそガッシュがヒットし始めたあたりだと思います。ガッシュがヒットし始め、雑誌に連載されている漫画の傾向が低年齢にシフトし、対して私は年齢を重ねていますので、雑誌の方向性と私の好みにズレが生じ、結果としてサンデーが面白くなくなったように思います。なお、あくまでも「私」の話です。低年齢層に活路を見いだしたのであれば、雑誌としては褒められこそすれ、責められるべきだとは思いません。 2008/06/12 02:07 通りすがりさんの仰る様に、雷句・新條両氏が問題にしているのは、「編集主導でないとマンガを創り続けるという行為は非常に難しいのだから、ならばきちんとした有能な編集をつけろ・育てろ」という話ではないかと思う。転じて、「無能で無礼な編集が、漫画家に対してリスペクトを欠いた仕事しかしない現状」の告発なのであって。それは新しいとか古いとかの問題ではない。センセーショナルだとすれば、今回こうして法的な手段に出ることによって、きちんと警鐘を鳴らし、対応を求めたことにある。それと、新條まゆをここで批判するのはやっぱ違うと思われる。彼女の言うことが信じられ、支持されているのは、いがらし某や松本某と違い、彼女の言葉に信憑性があるからであって。ネット界隈の人々も、そこまで盲目的に信じているという訳ではないはず。ただ、彼女の記した暴言や編集の行動が、受け取り手には「ありえそうなこと」として示されるからであって。百歩譲って、彼女の言動に裏の意図がある、或いは彼女の記したことの全てが嘘で、彼女は虚言癖であるとして、それがどうしたというのだろう。彼女のイメージがどうなっても、本質的には次に彼女の描くマンガが面白いか否かが全てなのであって、もし駄作が続けば、早晩彼女は忘れ去られていくだろう。何が重要かと言えば、新條まゆという、小学館と仕事をしていたことのある、そこそこ名前の売れたマンガ家が、少なくとも第三者から見て真実だろうと思われる様な内容でもって、雷句氏の援護をしたということだろう。他の漫画家にそうすべきであると思わせるようなケースなのだし、状況なのだ。今のマンガ界と雷句騒動は。 2008/06/12 03:04 管理人これって釣り?ずいぶん色々推測しているけど、例えば新條センセの件にしても雷句先生に便乗してある事ない事書いたとバレたらそれこそ彼女の信用は地に落ちるでしょ。大手出版社とガチの裁判を起こした雷句先生にいたっては、勝訴したとしても「めんどくさい作家」として敬遠されるリスクをしょってると思うんだけれどね。邪推で高みの見物は気分良いかもしれないけど、それならお願いだから「マンガ読み」とか名乗らないでほしいYO。 2008/06/12 05:33 ん〜、古い問題でありながらなぜ今まで改善できなかったのか、そしてなぜ今雷句氏が立ち上がったのかの理由はなんだろう?自分の考えでは、過去の時点では完全に「出版社(団体)vs作家(個人)」になったしまうため作家側に正当性があっても簡単に包囲されて潰されてしまっていたのではないかと。特に漫画に情熱をかける作家であればあるほど法的な知識やその他は少ないだろうし、読者と作家の間に必ず編集部が入るから情報戦でも勝ち目が無い。しかし今では作家個人がwebで読者やファンと直接交流が出来るため、正当性があるなら「出版社(団体)vs作家&読者(団体)」に持っていける。こうなると逆に有名であればあるほど作家側が大きくなるので十二分に勝算はある。個人が団体を通さず世間に意見を言えるようになった現在、古い業界の体質がある限りこの訴訟は不可避の問題だったのではないかなあ? 2008/06/12 08:52 ↑「釣られた魚」さんに同意かなぁ…。切り口は面白いけれど、問題のごく一面だけを見ている。新條まゆの言葉が受け入れられているのは、言葉の説得力。雷句問題が注目されているのは「提訴」したから。漫画家主導にすべきだなんて一言も主張されてないよね。信頼関係を構築しない編集者がいる、ガマンできない、という問題。私怨ではないか、といわれれば、そういう一面もある。まあ、民事訴訟なんだから私怨であっても全く問題無いのですが。結局、ライク氏が最も主張したいのは漫画家の労働環境の改善。要は、一種の労働闘争。本来、フリーランスに労働闘争なんてありえないはずだけど、漫画家の囲い込み状態はとてもフリーランスととは呼べず、対価等において市場原理がほとんど機能していない、という特殊な状況から、このような異常事態になった、と思います。管理人さんの視点は、それなりに斬新で、面白く読めました。ただ、憶測部分が多く、情報の取捨選択が恣意的な気がします。 2008/06/13 01:47 なんともでっかい釣り針ですね新條先生の文章に関しては『理路整然としている』というのが第一だと思います。専門のブレインを雇っているという話もありますが(或いはそれ故に)瑕疵の少ない文章です。それに対して『直感的に』疑問を投げかけるのは、分析を試みる人間のすることでしょうか?直感はあくまでも理論の起点であり、結論では無いということを理解していらっしゃいますか? 2008/06/17 01:57 ご意見拝見しました。他の方々の意見を見ると、新條まゆが絶対に「善」と見ている人の多さに唖然としてしまいました。ましてや「釣り」とか言ってる人達の頭の固さに苦笑せざるをえません。小学館の仕事をする可能性のない漫画家がその出版者を攻撃することにリスクなどありません。そこをわかっていない人がたくさんいることに今の日本人の甘さに対しての危機を感じます。マルチ商法や怪しげな宗教にだまされる若い人がたくさんいるのは自分勝手な常識を作り上げている人がたくさんいるからだと強く感じました。 マンガ読み・アニメ視聴者・評論好き。最近、ウェブ情報技術の視点からオタクカルチャーを分析・解体できないかと、試行錯誤を重ねている。 |
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