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先日とは?/ セントラルファイナンス

[ 487] 森本高史のマイナーサッカー天国
[引用サイト]  http://longlive352.jin.gr.jp/sunbbs/

欧州選手権、アフリカ選手権、からチェコのアマチュアリーグ、墨田区リーグまで、世界30カ国以上を旅するサポティスタ海外特派員・森本高史が世界のありとあらゆるマイナーサッカー情報を伝えます。過去の連載&プロフィールへ 感想・質問は、森本 高史まで
先日、ワールドカップ及びユーロの両方で優勝経験のある名選手の日本語版公式サイトの設立を快諾してもらいました。初めて会ったのは、アメリカのボストンのジレット・スタジアム。以後世界各地で顔を合わせ、よい関係を築いてきました。現時点では名前は明かせませんが、日本でも有名な元選手です。彼の日本でさらに知名度を上げるべく、また僕自身ウェブサイト製作の経験を積むべく(未経験なもので)頑張って行きたいと思います。どのような形にするのか、サポティスタ上にするのか、閲覧数を多くできることを念頭に置きながら検討できればと思います。応援のほどよろしくお願いします。それでは話が変わりまして、審判報告に移ります。僕が実際に笛を吹いた、旗を挙げた試合について振り返ります。<副審A1>5月6日(火、祝)北区リーグ2部 トリコロール VS EVEN前半、逆のサイドで試合が展開され、仕事量は少なかった。半年振りの副審であり、戸惑いを隠せず、主審との指し違いが見られたのは大きな反省点。後半の目標は、集中力をアップさせること。最後方の選手と常に平行に走り、向こうが「オフサイド」と主張する場面があったが、しっかり見ていたので動じることはなかった。戻りオフサイドもしっかり把握できた。信頼関係も成立していたので、異議はなかった。当たり前のことかもしれないが、この前の試合終了後、ある選手が主審を侮辱し、レッドカードをもらっていた。この後の試合では主審が罵声を飛ばしたり、選手がイライラを露にするなど荒れていた。円滑した試合運営ができたことは、毅然とした態度を見せた主審、フェアプレーを徹底した両チームに感謝の意を表したい。<主審>5月18日(日)葛飾区リーグ1部 下丸子三丁目 VS 桐一族「森本さんが良い笛を吹くのを初めて見た」試合終了後、副審の方からこう言われました。「何級ですか? 素晴らしいジャッジでした」PKを取ったり、GKの遅延行為に警告を出したチームからも高い評価をしてもらいました。前日に千葉県サッカー審判協会主催の研修会に参加しました。千葉県ユースリーグの試合を見て、その後審判団3人とじゃッジャについて議論する有意義な時間を過ごしたことが、大きな刺激となっていました。この試合のために調整してきたこともあり、体も動くし、精神的も充実しており、自分で言うのもなんですが、良いジャッジができました。目の前で2級審判員のジャッジを見たので、それが基準となっているので、自分自身に対する改善点も多く見られました。競り合いの際のファウルですね。とにかく次回につながる試合でした。<主審>6月1日(日)葛飾区リーグ1部 下丸子三丁目 VS AMD原稿の締切、海外取材などに追われ、この日も午前5時に寝て8時に起きて試合会場に向かうとうギリギリの生活が、ジャッジにも現れてしまったというのが印象でした。さらに暑さ、運動不足にも見舞われ、全てが後手後手に回ってしまいました。後半荒れてきたのも、選手の気性と自分の拙いコントロールの半々でした。荒れても再び収めることができましたが、余裕がなかったのが本音です。マリーシアを持った選手もいました。アフターのタックルを注したら、爽やかな態度で「はい、気を付けます」と言われ、2度目のファウル(アドバンテージを流しました)の際、警告を出すことを怠っていました。試合後、異議を受けました。「質疑応答の場ではありません」と退けましたが、きちんとコントロールできていれば起こらなかったことでした。問題の根底にあるのは、日々の生活に尽きると思います。最善の準備をして次回に備えることが、この悔しさを晴らす方法だと思います。とにかく頑張るのみです。<掲載媒体告知>週刊サッカーダイジェストhttp://www.wsdnet.com949号(5月7日発売)100−101ページマスロバルい(元千葉、福岡)インタビュー「ジェフを愛する気持ちは誰にも負けない。ともに歩んでいければと思っている」*コーディネートウラジミール・ノバク記者951号(5月20日発売)��34−35ページヨシップ・クゼ(前千葉監督)緊急インタビュー「私は重大なミスを犯した」��58ー59ページアジア通信第8回UAE初「AFCアワードに見切りを付け、『スーペル・アワード』誕生」SAFF発「南アジアの覇権を賭けて8カ国が楽園で激突」マイナー国NEWS サウジアラビア発「移籍秒読みのマグノの元もとへ高額なオファーが殺到」952号(5月27日発売)��38−39ページAFCチャンピオンズリーグ決勝トーナメントプレビュー「J3クラブの勝算は?」��100−101ページ6・2、6・7オマーン戦直前プレビュー「オマーンの実力を探る」��102ページオマーン代表監督フリオ・リバスインタビュー「中心選手3人が欠場となるのは痛い。誰が出ても勝つチームを作るのみだ」*コーディネートDafrallah MOUAHEN記者/フランスフットボールアフリカ・中東通信員��103ページオマーン代表GKアリ・ハブシ(ボルトン)インタビュー「ピッチ上の結果は必ずしもネームバリューで決まるわけがない」*コーディネートDafrallah MOUAHEN記者/フランスフットボールアフリカ・中東通信員)エルゴラッソhttp://sports.biglobe.ne.jp/golazo/553号(5月21日発売)14ページ地球式蹴球倶楽部「草サッカーのプロ」http://www.sdsleague.com/index.html
お久しぶりです。締め切りを抱えている原稿が一段落し、ネットサーフィンしていると下記のURLを発見しました。http://www.soccernet.ee/news.php?id=2669エストニア語で書かれています。雰囲気から判断すると、「日本出身の佐々木永明選手が、エストニアのクラブのテストを受けに来た。森本高史というジャーナリストの紹介があった」という感じでしょうか?佐々木選手は、このサイトを読んでいてくれたらしく、確か6年前にメールをもらい、墨田下町蹴球団の練習試合に2度参加しました。インドネシアやシンガポールでプロ経験を持つ選手のハイレベルなプレー、経験を草サッカーチームに披露してもらったことは今でも忘れられません。本当にありがとうございました。当時、佐々木選手から進路に関して相談を受けた際、「エストニアでプレーしてみては?」と提案すると、佐々木選手は多大な関心を示していました。(ある元Jリーガーに声をかけた際は、「エストニア? 寒いから嫌」と却下されました)2002年3月、ワールドカップで対戦するロシアの視察でエストニア対ロシアの試合取材でエストニアに行きました。普段は馴染みのないエストニアサッカーに魅力を感じ、エストニア代表、エストニアサッカー協会、現地クラブ「フローラ・タリン」などに積極的に足を運びました。当時の代表監督アルノ・パイペルス(その後はカザフスタン代表監督になったそうです)、フローラのディレクターなどエストニアサッカーの重鎮とは顔見知りなので、彼らの連絡先を佐々木選手に提供しました。「Takashi Morimotoの名前を出せば、彼らは色々助けてくれるはず。幸運を祈っています」と付け加えました。現地で佐々木選手が取材を受け、僕の名前を出したのでしょう。6年前のことでノスタルジーを感じられずにはいられません。佐々木選手は、現在なにをしているのでしょうか? エストニアの後ハンガリーに言ったと聞き、電話で話したのが最後です。PCが壊れた関係で電話番号もメールアドレスも紛失してしまったので、連絡は取れない状況です。自分が運営していた墨田下町蹴球団に参加してくれた人に対しては、感謝の気持ちというものを持っています。また会って、サッカーを一緒にプレーできれば幸いです。ご連絡お待ちしております。あと、ごく一部の人に話したのですが、現在休部中の墨田下町蹴球団を復活させるべく動いております。仕事、特に海外取材の関係で僕が100%運営に関れないこと、やるからには全ての試合を勝ちたい、アフリカや中東のような結果至上主義のチームを作りたいです。熱く、かつサッカーを知っている人との協力が必要です。親友であるイランの国民的英雄アリ・ダエイ、シャンパンサッカーことフランスのアラン・ジレス、FIFAテクニカルスタディグループの郭家明氏など世界各国の重鎮に教えを請いながら、他のチームとは明らかに違う「墨田下町蹴球団方式」で頑張っていければと思います。今まで数多くの人にお世話になりました。今後ともよろしくお願いします。
現在、シンガポールに取材で来ております。国内リーグのSリーグ、アジア中堅国クラブの国際大会のAFCカップが毎日開催されているので、楽しいサッカーライフが送れる最高の場所だと自負しております。3月15日、Lorong NapiriのBowen Secondary School において、Sundowners Leagueという現地の私設リーグの試合の主審を務めました。http://www.sdsleague.com/index.htmlシンガポールで笛を吹くのは、2度目です。前回は昨年3月であくまで自己評価ですが(レフェリーアセッサーやマッチコミッショナーは当然いません)、かなり悪い内容でした。大きな理由として、以下の3つが挙げられます。�―秧茲某拡叔塾呂�低い、経験不足→まさしく文字通りです。��副審がいない状況でのレフェリング→経費の問題(謝礼あり)で、審判は主審1人のみ。オフサイドの判定が適当になり、両チームともオフサイドトラップ・DFの裏を取るプレーが多く、選手は苛立ちを隠せず、乱闘にまで発展していました。��試合前の対戦相手とのコミュニケーション→フレンドリー、笑顔で接した成果、舐められたような印象を受けました。名前、そして日本出身を告げたのもまずかったかもしれません。FIFA規則に則り、試合前にネックレス、指輪をジャラジャラつけたインド系選手に外すように注意したら、「宗教上の理由で無理」と10人以上に半ば強制的に脅され断念したのですが、ノーと言えない日本人の態度はマイナスに作用しました。今回主審を務めるに当って、試合経験を積み、3級昇級、さらに取材するサッカーの試合でも審判を中心に見ており、少なくとも昨年のときよりは成長したはずです(改善の余地はありますし、反省の毎日です)。オフサイドに関しては、ボールだけではなく、最終ラインも見る、可能である最終ラインまで走ることを心がけました。試合前のコミュニケーションは極力避け、一匹狼を演じました。笛を吹いて、選手をフィールドに集合させ、「ネックレス、指輪など一切の装飾品を外さなければ試合出場できない」と強い姿勢を打ち出し、外させました。そして、こう付け加えました。「キックオフ後、装着が発覚したら警告となる」一部の選手から「早く始めよう」という声があがり、「もう一度言います。装飾品を外してください。全員外したら試合を始めます」と再度確認し、笛を吹きました。開始5分で2人ネックレス装着を発見し、ともに警告を出しました。スローインの位置が違っている場合(3メートル以上離れている)は投げる前に、変更させました。オフサイドは、片方のチームはリベロを置きトラップをかけなかったので楽でした。もう一方はFWが裏を取ろうとしましたが、力関係から押されていたので回数は少なく、可能な限りパスを出す瞬間副審が本来いる場所に走り、的確な判断を下しました。後半、オフサイドの判定を巡って、攻めているチームのDFが「オフサイドじゃないだろ! なにやってんだ」というようなことを言ってきたので、あるテクニックを使いました。森本:(その選手に近寄り)今なにか言いましたか?DF:オフサイドじないだろ? 森本:すいませんが、聞こえなかったです。DF:だからオフサイドじゃないだろ?森本:あなたは審判ですか? もう一度言ってください。DF:(悔しそうに)なんでもない。早く試合を再開させて ください。以前下記のサイトの管理人である工藤氏が実践していた審判コミュニケーションスキルと、ドリフのコント(おばあさんは耳が遠くて、聞こえなくてのう。もう一度言ってくれ)を組み合わせて、上手く選手の不満をコントロールしました。http://blog.nsp-fc.com/40メートル離れた場所まで聞こえるほどの大声だったので、異議により警告でもよかったのですが、まずは対話を試みました。ここでさらに不満を爆発させるのであれば、警告を出すつもりでした。あとは先日行われたJリーグメディアカンファレンスオンレフェリングで学んだ「サッカーだから接触プレーがあるが、ボールと関係なく、相手の体に真っ先に当たる行為」は厳しくファウルを取りました。一つ一つの判定にイライラする選手はいましたが、試合は荒れなかったこと、80分(40分ハーフ)を通して毅然としたジャッジ、同じ基準を貫いたので、試合は1-1で終わりましたが、両チームから「素晴らしいジャッジだった。ありがとう」と満足感を示してくれました。お世辞かもしれません。でも、前回は「お前審判資格持っているのか? おかしなジャッジだな。グランド代は払いたくない気分だよ」と酷評されただけに、今回は笑顔でピッチを後にしました。こちらでプレーもしましたし、何試合か観戦し気が付いたことがあります。「シンガポールサッカー、それはオフサイドトラップ」主審のみで副審がいないのに、積極果敢に最終ラインを押し上げ、オフサイドを要求してきます。際どいのはおろか明らかなオフサイドでも主審の位置からは見えずに、失点してしまい痛い目にあっているのにもかかわらず、徹底してオフサイドトラップを仕掛けてきます。さらに面白いことに、際どいプレーの場合、オフサイドの選手がプレーに絡み、オフサイドでない選手は走らない。逆のケースはほとんどありませんでした。オフサイドへの愛情が深いだけに、もっと裏を狙うようなプレーを期待したいものです(笑)。次回は20日19時@場所未定 で笛を吹きます。素晴らしい試合の一助となるよう、自分自身の成長のため精一杯頑張るつもりです。
今回はアフリカネーションズカップ@ガーナの楽しかった話を書きたいと思います。文化というか、個人の問題というか、日本では見知らぬ人と目が合ったら大抵の場合視線を反らしています。なんだか気まずい雰囲気だし、僕自身シャイなのかもしれません。外国、特にアフリカの場合は、挨拶しコミュニケーションを交わすことが多いです。宿泊ホテルのロビーで、あるアフリカ系男性と目が合いました。なんとなくフランス植民地の国出身のような気がして、「Bonjour」と声をかけました。ガボン出身、ピエールという名前で、CAF(アフリカサッカー連盟)審判委員会の方でした。森本:ここでなにしているのか?ピエール:ガボン政府関係者に会いに来たガボンは2012年アフリカネーションズカップの共同開催国(赤道ギニア)の1つであり、政府関係者が大会視察、CAF要人への挨拶でガーナに来ていました。同じホテル宿泊だったとは知りませんでした。森本:ガボン代表監督ってあのフランスの大スターの・・・ピエール:アラン・ジレスだ。彼はこのホテルにいる。今は疲れて寝ているけどね。翌日、朝食の席でアラン・ジレスを見かけました。びっしりとスーツで決めているいかにも政府関係者とわかる人物と一緒なので、ビジネス(たわいのない話かしていないでしょうが、それも人間関係構築には欠かせない要素です)なので終わるのを待っていました。席を離れた瞬間、フランス語で挨拶に行きました。森本:あなたはガボン代表監督ですね?アラン・ジレス:(笑顔で)Oui.森本:インタビューしたいのですが。アラン・ジレス:OK。ただし、これからCAF会長イッサ・ハヤトゥを表敬訪問するので、12時でいいかな?アラン・ジレスではなく、ガボン代表監督ですかとフランス語で尋ねたことで、こいつはただ者ではないなと思ったのでしょう。現役時代はミシェル・プラティニ、ジャン・ティガナとともにワールドカップで活躍したフランスのスーパースターが取材を快諾してくれたのは嬉しいの一言でした。約束どおり12時にロビーで待っていました。しかしながら、時間が経過するだけでジレスの姿はありません。前述のピエールに電話をすると、「さっきまで一緒だったけど、別れた」とのこと。15時ごろホテルに戻ってきました。これからランチだということで、レストランで取材をさせてもらいました。正直実りのある取材ではありませんでした。食べながらなのでジレスあ明らかに集中力を欠いているし、なによりも政府関係者に左右を囲まれているので当たり障りのないコメントに終始しています。 試合の視察があるので20分で切り上げることになりました。試合後ホテルに戻ってくると、旧知のブルキナファソ人記者を見かけました。ジレスインタビューが彼らの目的です。すぐにジレスが来て、「さっきの取材では話し足らなかっただろう。もう一回話そう」と親切に誘ってくれて、ブルキナファソ人との共同インタビューが行われました。今回は政府関係者がいないので本音トークでした。印象に残っているのは、以下の言葉です。ジレス:なぜアフリカでは監督解任が多発していると思う?森本:アフリカの文化ですから。ジレス:断じて違う。アマチュアリズムのせいだ。なんでもかんでも監督に責任を押し付けてしまう。許せない。アフリカだからと変な意味で受け入れるのではなく、物事の本質を見極めなければならないことを世界基準を肌で知るジレスから教わったような気がします。また、「ムッシュ・ジレス、僕もメキシコのアステカ・スタジアムでプレーしたことがあるんだ」(本当、2003年CONCACAFゴールドカップ決勝戦の前と言うと、ジレスの表情が変わりました。「以前(2002年8月)、トルコ対グルジアの試合を取材し、アルチル・アリベラーゼにインタビューした」と言った時も同様でした。ジレスはグルジア代表監督を務めていました。僕をサッカー人として評価してくれたのでしょう。ブルキナファソ人との共同インタビューでは、忙しい中1時間熱弁を振ってくれました。インタビューは双方の人間関係は重要で、極端な話どうでもいい奴と思われると2分で終わります。ジレスには本当にお世話になりました。いつか総監督として招聘したいですね。ありがとうございました。その後、ブルキナファソ人記者からインタビューを受けました。日本人がアフリカネーションズカップを取材していることの珍しさに加え、アフリカサッカーの知識を問われました。カメルーン代表と中津江村の関係を最初に話し、鈴木隆行のゲンク時代のライバルがブルキナファソ代表ダガノだったと言うと、ブルキナファソの記者なので盛り上がりました。さらにトルシエ監督率いるU−20日本代表が決勝進出を果たした99年ワールドユース@ナイジェリアの前にブルキナファソ遠征を行った話も興味深く聞いてくれました。実は、取材するよりも取材される方が好きなので、楽しかったです。インタビューはフランス語で行われ、記事もフランス語で書かれています。写真では赤いシャツを着ていますが、トーゴ代表の本物のシャツで、リビアのクラブ(確か)でプレーしている親友の親友からもらったものです。下記がURLです。http://www.fasopresse.net/article.php3?id_article=12303&id_rubrique=10<掲載媒体告知>週刊サッカーダイジェストhttp://www.wsdnet.com935号(2月19日発売)58−59ページアジア通信第5回AFC発「抗議した者勝ちのアジア。日程変更も中国の圧力か」カタール発「アル・サード監督交代劇はアラブらしいお家騒動」マイナー国NEWS シンガポール発「4年前の日本戦で同点弾を決めた英雄がMLSに挑戦」939号(2月26日発売)107ページライバルが見た岡田ジャパン*協力、新華社通信・チェン・ダオジン記者取材940号(3月4日発売)18−19ページACLプレビュー、目指せアジアの頂点グループF「鹿島は北京国安との一騎打ちの様相」北京国安(中国)「堅守速攻の切り札、助っ人3トップは要警戒」クルンタイバンク(タイ)「タナボタチームの武器は守備」ナムディン(ベトナム)「目標は国内リーグ。F組の草刈場?」グループG「メルボルンと全南にマイナス材料」メルボルン・ビクトリー(オーストラリア)「好タレントを抱えるが、現在オフというのが・・・」全南ドラゴンズ(韓国)「ヒディンクの名参謀が指揮も、タレント不足」チョンブリ(タイ)「G大阪の情報が全て筒抜けの可能性も」ワールドサッカーダイジェストhttp://www.wsdnet.com262号(2月21日発売)76−79ページディディエ・ドログバインタビュー「南アフリカへの決意表明」*コーディネートBoubacar Diakite記者/LES ECHOSフットボリスタhttp://www.footballista.jp64号(2月20日発売)�。械哀據璽献▲侫螢�ネーションズカップ2008総括「強固な組織力、相手研究、ベンチワーク。エジプトが提示した勝つための条件」大会予想反省文森本高史優勝:×、決勝トーナメント進出:7カ国的中スティーブン・コンスタンチン(マラウィ代表監督)優勝:×、決勝トーナメント進出:7カ国的中パトリック・ジュイヤール(フランス人記者)優勝:×、決勝トーナメント進出:6カ国的中エルビス・イブラヒム・ケイタ(カメルーン、スター・フラッシュ)優勝:× 決勝トーナメント進出:5カ国的中�■械吋據璽献▲薀鵝Ε献譽后淵�ボン代表監督)インタビュー「アフリカサッカーの現在と未来」アフリカネーションズカップ・ベスト11GK:イドリス・カメニ(カメルーン)DF:ジェレミ・ヌジタップ(カメルーン) ワエル・ゴマ(エジプト) ハニー・サイード(エジプト) アルトゥール・ボカ(コートジボワール)MF:ミカエル・エシアン(ガーナ) ホスニ・アブドラブ(エジプト) カデル・ケイタ(コートジボワール) モハメド・アブトーリカ(エジプト) スレイ・ムンタリ(ガーナ)FW:アミル・ザキ(エジプト)監督:ハッサン・シェハタ(エジプト)エルゴラッソhttp://sports.biglobe.ne.jp/golazo/501号(1月21日発売)�。隠乾據璽献▲侫螢�ネーションズカップ展望「ガーナが優勝候補筆頭」�■隠汽據璽献戰淵鵑猟�戦「帰化選手を積極起用」プーマ・ピースワンデー開催「世界平和の実現へ」503号(1月25日発売)11ページアフリカネーションズカップ・グループCエジプトVSカメルーン「前回覇者、カメルーンに完勝」505号(1月30日発売)アフリカネーションズカップ、グループAガーナVSモロッコ「ガーナ、3連勝で決勝トーナメント進出」506号(2月1日発売)10ページアフリカネーションズカップ、グループBコートジボワールVSマリ「マリ敗退、ナイジェリアふぁ逆転突破」507号(2月4日発売)�。隠殴據璽献▲侫螢�ネーションズカップ決勝トーナメント展望「真価が問われる不屈のライオン」アフリカネーションズカップグループリーグ総括「光った弱小国の健闘」�■隠灰據璽献▲鵐愁法次Εぅ┘椒◆文汽�ーナ代表、ホテル経営)インタビュー「アフリカは急激なレベルアップを果たした。もはや絶対という言葉は存在しない」508号(2月6日発売)11ページアフリカネーションズカップ・準々決勝ガーナVSナイジェリア「10人ガーナ、執念の逆転劇」511号(2月11日発売)13ページアフリカネーションズカップ・準決勝エジプトVSコートジボワール「強烈、コートジボワールを粉砕」アーリー・スカンズ(元大分コーチ、ナミビア代表監督)インタビュー「日体大で過ごした5年間はビューティフルメモリー。また日本で指揮したい」

 

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