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止めるとは?/ セントラルファイナンス

[ 55] しゃっくりを止める
[引用サイト]  http://www.seikatu-cb.com/kenkou/shaku.html

しゃっくりとは、別名「横隔膜けいれん」と呼び、その名のとおり横隔膜のけいれんによって起こる症状です。横隔膜とは胸とおなかを隔てる筋肉のことです。横隔膜が不随意にけいれんすると、胸空内圧が低下し、空気が急速に吸い込まれて、同時に声門がすばやく閉じるので、吸気の流れが妨げられ、そのときに出る音がしゃっくりです。声門とは、吸気時に声帯が弛緩して緩むことでできるすきまのことで、空気の通り道になります。
しゃっくりは通常なら数分間続いた後に止まるものですが、長期間続いたり、頻繁に出る場合には、何らかの器質的疾患が原因となってるケースも考えられます。こうした際には一度病院で見てもらうといいでしょう。
しゃっくりは横隔膜の運動に関わる一連の流れに異常が生じたときに起こるけいれん症状です。まず迷走神経や横隔神経知覚枝から、延髄の呼吸中枢に刺激が送られ、そこから横隔神経運動枝に刺激が伝達されるといった流れで横隔膜は働いています。この一連の流れのうちどれかひとつにでも異常な刺激がおきると、横隔膜けいれんが発生するのです。横隔膜けいれんは、上記の流れの中の神経への異常刺激で起こるものと、横隔膜自体への直接の刺激で起こるものとがあり、以下のように分類できます。
・消化管が刺激されて起こる場合(過度の飲食、急な食事などで横隔膜に近い位置にある臓器が拡張し、横隔膜を刺激する場合など)
ここまではしゃっくりって何?、しゃっくりの原因は?についてみてきましたが、それでは次にしゃっくりの対処法についてみていきます。ただ上記でも述べましたが、しゃっくりの原因には肺炎や脳腫瘍、腹部の疾患など重篤な症状が原因となっている場合もありますので、長く続く時は一度病院で原因を確認してみてください。ここでは数分間程度の通常のしゃっくりへの対処法を述べたいと思います。
いきなり釘を刺すようですが、しゃっくりを止める確実な方法は今のとこありません。ただし効果的だといわれている方法なら、いくつかあるのでそちらを紹介します。
消化管を通して内側から横隔膜に刺激を与えるという効果があるのではと解釈してますが、実際のとこはよくわかりません。でもこれで聞いたという人も多くポピュラーな方法ですね。
一杯分の砂糖をのどの奥のほうに直接放り込み、そのまま飲み込むというやり方です。舌のうえでよく溶かしてから飲み込む方法と二通りあるようですが、どちらがいいかはよくわかりません。ただ効果はあるみたいです。砂糖よりもグラニュー糖のほうが効き目があるといった声も聞かれます。
これは古くから知られる民間療法らしく、漢方薬の材料としても利用されています。飲み方はまず5〜10g(へた10個ほど)に水0.3リットル加えて煎じ、約半分になるまで煮詰めます。できた煮汁を服用します。そのままだと飲みにくいそうなのでひねしょうがを少量加えたりもします。
この質問をするとしゃっくりが収まるそうです。答えは大豆ですが、大豆と発音させることもいいそうです。詳しいことはわかりません。とにかく突然「へ?」と虚を付かれるような質問をすることが重要なようです。似たようなものに、「ナスの色は何色?」「菜の花の色は何色」などがあります。

 

[ 56] たけくまメモ : マンガ界崩壊を止めるためには(1)
[引用サイト]  http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_4da3.html

マンガ家・雷句誠氏が6日に小学館を提訴してから3日が経過しました。その間、この問題はネット中を駆け回り、今さら何かを書こうにもすっかり出遅れた感じになってしまいました。もちろん俺も何か書こうとは思っていたのですが、この件に関しては、現時点では雷句氏側の見解(訴状と陳述書)しか公になっていないので、なんとも言えなかったというのが正直なところです。
新聞報道を読んでも、雷句誠氏が小学館に原稿を紛失されて損害賠償を提訴したという事実関係以外は、まだ何も書かれていません。小学館としては「訴状が届いていないのでコメントできない」の一点張りで、問題が公になったのは金曜日でしたから、訴状が届かないのは仕方がないです。それで、明けて月曜夕方になるまで様子を見ておりましたが、まだ見解は報道されていないようです。これから出るとしても、おそらくは「現在係争中なのでコメントは差し控えます」というコメント以外は出しようがないと思われます。
裁判に関して、特にこうしたプライベートでの(※) 当事者間の感情のもつれを含んだ問題に関して、第三者の俺が事実関係がよくわからない状態でコメントを書くことには問題があると思います。それでこの原稿紛失問題に関しては、裁判の推移を見守るしかない、というのが俺の立場です。小学館の公式見解は、放っておいてもじきに法廷で出るはずで、それを見てコメントがあれば、書くことにしたいと思います。
※一応仕事上の人間関係の話なので、「プライベートでの」という言い方は誤解されそうな表現でした。ここは「当事者間の」という表現に訂正します。
ただし現段階ではっきりとわかることがあります。それは、雷句誠氏の、版元サイドに対する不信感の強さです。雷句氏の陳述書を読む限り、この問題はたんなる「原稿紛失」問題にとどまらないことは明らかです。原稿紛失を理由に提訴に踏み切ったことは、「陳述書」を公開するためのきっかけに過ぎなかったのではないかとすら俺には思えます。公開された陳情書には、過去、雷句氏を担当した編集者への不満が実名で書かれており、雷句氏の積もり積もった怒りの深さが伺いしれます。
しかしながら、陳述書から伺えることは、何度も言いますがあくまでも雷句氏側の一方的見解であります。名指しで非難された編集者にも、おそらく反論やいいたいことがあるはずですが、彼らはサラリーマンですから、ことが法廷の場に及んだ場合、会社を前面に出して対応する以外はありません(マスコミやネットで反論や個人的見解を述べることは、会社の弁護士が固く禁じているはずです)。逆にいえば雷句氏は、「会社の中の個人」の実名を出して非難することで溜飲を下げたということもできます。フリーは、一般に立場が弱いものですが、それは組織から仕事をもらって生活しているからです。いったんその組織と「縁を切ってもいい」と決意さえすれば、もはや彼を止める人は誰もいません。こうなると、「個人」としてのサラリーマンは黙るしかありません。名指しで非難された編集者氏の意見は、たぶん公には今後も出ないか、出たとしても何年も経ってからになるでしょう。
そういうわけで、現時点でのこの問題に対して、俺は裁判そのものとは異なる切り口で書いてみたいと思います。
まず今回の問題でネットを見て回っていたところ、作家が版元や編集者に対して「告発」するサイトがいくつか存在することに気がつきました(コメント掲示板で読者が教えてくれたものもあります)。その中で特に気になったのが、『バクネヤング』等の個性的な作品で90年代に人気を博していた松永豊和氏の自伝的小説『邪宗まんが道』と、人気少女マンガ家・新條まゆ氏のブログ「まゆたんブログ・思うこと」です。新條さんのエントリは今回の雷句誠氏の出来事を受けて書かれたものです。
松永氏の『邪宗まんが道』は、主人公が「松永」である以外はすべて仮名になっていますが、登場人物はほぼ実在の人物です。俺は松永氏と面識はないんですが、仕事をしていた時期と会社(小学館)が重なるためか、この小説に出てくる編集者の半分は俺の知り合いです。それで内容が内容(編集者に対する恨み節)であるため、読んでいて俺のことでもないのに脂汗が出てきました。松永氏は文章もうまく「読ませる」技術があるだけに、個人的にも知っている編集者に罵詈雑言が浴びせられ、「作家の敵」として描写されていることにやや辟易したことは事実です。この中に書かれていることは「もっともだ」と思うことも多々ありますが、「それは松永氏の考えすぎではないか」と思うこともあり、頭の中に実在の編集者の顔が錯綜して、これほど複雑な読後感を抱いた小説はありません。
しかし400字詰め原稿用紙換算で500枚を越える長編を、最後まで一気に読み進めてしまったことは事実です。これは松永氏の「小説家」としての力量がかなりのものだということを示していると思います。『邪宗まんが道』は、俺は小説として傑作だと思いました。しかし、関係者にはほぼ「あいつか」と特定される形で書かれた人たちには同情しないでもありません。ネットに一度掲載されたものは、たとえ削除されたとしてもデータとして半永久的に残るからです。
新條まゆさんのブログは、過激な表現こそありませんが、自分の経験(版元とのトラブル)から雷句氏の提訴を擁護する内容です。あくまで冷静に書かれているだけに、俺には説得力がありました。
しかし、作家と版元のトラブルは、それこそ原稿紛失も含めて今に始まったことではなく、社員編集者と作家の感情的確執も、大昔からありました。原稿紛失で思い出すのは、唐沢なをき氏や須藤真澄氏がやはり原稿紛失した出版社を提訴した事件ですが、いずれも扶桑社や学習研究社 ふゅーじょんぷろだくとといった、マンガ出版社としては傍流の版元でした。(※)小学館のようなマンガ界の中心に君臨する大手版元をマンガ家が訴えたというのは、俺の知る限り初めてであります。
※須藤真澄さんが訴えたのは原稿紛失ではなく作者に原稿を返却しなかったふゅーじょんぷろだくとでした。学研のは岸香里さんの『天使のたまご』原稿紛失事件でした。知人から指摘がありましたので、訂正いたします。
もちろん小学館や講談社のような大手版元でも、作家と編集がケンカになったとか、原稿をなくしたといったトラブルは、過去にはたくさんあったわけです。まったく表沙汰になっていないのですが、作品名を出せば誰もが「え?」と驚く作品の原稿がまるまる一冊分印刷所で盗難にあい、解決するまで連載は一時中断、作者サイドと版元が水面下で補償をめぐって熾烈な交渉の末、連載再開されたケースも知っています。この件は裁判にならず、なぜか2ちゃんの噂にすらなりませんでした。この作品の場合、製版は済んでいたので単行本は無事に出すことができたこともあります。
要するに、俺の知る範囲でも、雷句誠氏レベルの「作家と編集のトラブル」は昔から日常茶飯事であったと思うわけです。それでもこれまで表沙汰にならなかったのはなぜか、それがここに来て作家の側からの「告発」がはじまったのはどうしてか、ということを俺は考えたいと思うわけです。
なぜ表沙汰にも裁判にもならなかったのかといえば、やはり日本の出版界の慣例による「美徳」、つまり作家と版元相互の信頼に基づく関係というものがベースにあって、これが訴訟沙汰を回避する強力な歯止めとして機能していたことがあげられます。これは言葉を換えれば、日本の出版社の感覚は江戸時代や明治時代で止まっていて、すこぶる前近代的な感覚で運営されているということであります。一例をあげれば、仕事を頼んでも金の話をしたがらないとか、出版契約書はなぜか本が出てから交わすようなことですね。これについては、俺も「出版界は変な業界」「共犯者としての編集者」というエントリで書いたことがあります。
それで、この「版元と作家の信頼関係」が、現在、音を立てて崩れ去ろうとしているのだと、俺は思います。雷句氏の裁判は、そのひとつの現れではないかと俺には見えます。昔であれば、出版社側の誠意ある対応によって収拾がついていた問題が、それだけではどうにもならなくなってきているのです。
特にマンガ出版は、多少の停滞期は何度かあったものの、基本的には戦後右肩上がりに成長を続けてきた産業であります。80年代からバブル期にかけては、日本の出版総売上げの3割を占めるまでになり、出版産業は事実上、マンガによって利益が支えられる構造になっています。ところがバブル経済の崩壊で、90年代後半は目に見えて本や雑誌が売れなくなってきました。そこにブックオフやマンガ喫茶の出現によって、マンガ版元は大打撃を受けたのですが、それでも業態としてなんとか保っていた秘密は、
というのが、俺が2004年に上梓した『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』(イーストプレス)における主張です。俺の知る限り、80年代初頭のマンガ原稿料の相場も、2000年代に入ってからの相場もまったく変わっていません。正確に言うなら、新人から中堅、ベテランになるにつれて基本的な稿料は上がるのですが、その下限と上限がここ四半世紀ほとんど変化していないのです。つまり、俺がこの業界で仕事をし始めた25年前、新人マンガ家の原稿料はだいたいページ6千円から8千円が相場でした。これがヒット作を描くと1万数千円になり、ベテランとなると2万から3万、5万超えると特別の巨匠クラスだと言われていたのです。
ところがこの相場は、21世紀になった今でも変わっていません。あのマンガが売れに売れていたバブル期の真っ最中も、原稿料は新人で6〜8千円、中堅で1万数千、2万以上はベテラン・巨匠クラスだったのです。
俺は、昔はこれが不思議でならなかったのですが、バブルが崩壊していよいよマンガが売れなくなってきた今になって、ああ、今のマンガ界がなんとか保っているのは、バブルの時にも原稿料を上げなかったからだ、ということに思い至りました。ことの是非はともかくとして、事実として、原稿料を据え置いたことでマンガ界が救われた面は、あると思うのです。もちろんそれだけではないでしょうが、俺がこれを本に書いてから、誰からも一度も反論らしい反論を頂いてないので、たぶんそれほど間違ってはいないのだろうと思っています。
今回の雷句氏のブログに載っていた原稿料の額を見て、あれほど有名な作家の原稿料がこの程度なのか、と驚いた人が多いみたいですが、俺は長年この問題を考えてきた経験から、雷句氏の原稿料は相場から見て決して高くはないが、特に安くもないという印象を持ちました。雷句氏も、会社が呈示した賠償額への不満は書かれていましたが、原稿料自体を安すぎるとは書かれてないと思います。
俺から見ても、今年に入ってからのマンガ出版の崩壊ぶりには、目を覆うほどのものがあります。俺は、マンガ雑誌の数が今の半分になり、定価が今の倍になるまでこの状態は続くのではないかと思っています。
今すぐにも、なにがしかの構造改革を行わなくては、マンガ界はおろか、出版界そのものも崩壊するのではないかと俺は思います。俺がこれから書きたいアイデアは、雷句氏や松永氏、新條氏が提起されている問題への解答でもあるのですが、すでに思わぬ長文になってしまいました。いささか疲れましたので、この続きは、明日以降に書きます。 (つづく)
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[ 57] たけくまメモ : マンガ界崩壊を止めるためには(2)
[引用サイト]  http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_e699.html

少し更新が開いた間に、当方のエントリに対していくつかのブログから反響があったようです。その中で、現状認識において俺の考えに近いと思ったのが、agehaメモさんの「雑駁に言うとハリウッドは、東海岸の興行主から逃れた映画人達が形成した」というエントリでした。
プロフィールがなかったのでどんな方かはわからないんですが、解決策の一例としてあげられた「フリーマガジン」の案を除いては、俺の考えとほぼ同じです。以下、俺が「そう、そうなんだよ!」と思った箇所を同エントリから引用します。
《 問題の根っこは、共にサクヒンを作り上げるべき「編集者」が「出版社のサラリーマン」である事、であるように思う。「人気があるから続けて下さい」で、傑作が崩れていく様を我々は何度も見た。「出版社のサラリーマン」は「雑誌発行部数の為に」それをせざるを得ない。
これは「シチョーリツが全てです」とドラえもんの声優変更を押し通すのに似ている。短期的には視聴率が上がったそうだが、あれは「未来のドラえもんが稼ぎだす利益」を幾ばくか、削いだ。「持続可能なドラえもんビジネスの発展」という点ではいささかマズい。ひらたく言うと、愛がない。
逆に言えば、過去の編集者の人達は、『日本の出版界の慣例による「美徳」、つまり作家と版元相互の信頼に基づく関係』の為に、カラダを張ってた部分がデカイのだと思う。これは個々の編集者を責めて済む話ではないような気がする。ひらたく言うと、そこまで「モーレツ社員」にはなれませんということではないか。
これを美徳やモラルの問題と取ると当事者がそう取るのはやむを得ないと思うが、個人攻撃や精神論で終わってしまう。社会全体が豊かになってくれば、当世若者気質が変わって行くのは当たり前だ。「モーレツ社員前提のフレームワーク」の方にムリがある。必要なのは「持続可能なマンガ・ビジネスの発展」だ。オレが「未来の雷句誠」のマンガを楽しむ為に。 》(agehaメモ 2008.6.10)
長い引用になりましたが、俺が「マンガ界崩壊を止めるには(1)」で書いた真意を、これ以上ないくらい見事にまとめてくださってます。この問題は、もちろん雷句さんの告発が事実であれば(おそらく事実に近いのでしょう)とんでもないことですが、しかしそれは特定の版元の編集者と個人作家のトラブルに収斂されるだけの問題ではないということを、この方はよく認識されています。さらにいくつか、俺なりに補足させていただきたいと思います。
agehaメモさんは、現状のマンガ界ビジネスのありようを「モーレツ社員前提のフレームワーク」だと喝破されています。まったくその通りだと思います。ここで「モーレツ」を要求されているのは、本来は編集者とマンガ家の双方です。戦後マンガは、社員編集者と作家が一蓮托生となって、どちらも私生活を投げ打って名作マンガ・ヒットマンガを作りあげてきた歴史があるのです。俺が前のエントリで「作家と版元相互の信頼に基づく関係」と書いたのは、まさにこのことです。
俺がマンガ業界の仕事を始めた80年代初頭には、60〜70年代のマンガ編集者にまつわる「伝説」を、いろんな人から聞かされました。たとえば上京した新人マンガ家を何人も自宅に泊めて生活の面倒を見ていた集英社の角南攻さん(現白泉社取締役)であるとか、楳図かずお先生の仕事場に毎日通ってシジミの味噌汁を作っていた小学館の白井勝也さん(現小学館専務)であるとか、「マンガなのか便所の落書きなのかわからない」と編集部全員が掲載に反対したどおくまんの作品を、辞表をポケットに忍ばせて「ヒットしなかったら会社を辞める」とただ一人頑張り、『嗚呼、花の応援団』を神風級の大ヒットに導いた双葉社の小尾さんであるとか、締切が過ぎてしまった手塚先生の原稿を「もう間に会わねえよ!」と引きちぎった秋田書店の伝説的編集者・壁村耐三さん(故人)であるとか、ある時期までのマンガ界には、ちょっと正気を疑うような編集者の伝説的エピソードがテンコ盛りだったのです。このあたりの事情は、長谷邦夫先生の『マンガ編集者狂笑録』に活写されていますのでぜひご一読を。
ちなみに最後にあげた壁村さんは、のちに「少年チャンピオン」編集長として、「手塚の死に水はオレがとる!」と当時スランプのどん底にあった手塚先生に『ブラック・ジャック』を連載してもらって作家として再起するチャンスを与えた人であります。
ところで今回、切込隊長がブログ「俺様キングダム」で、俺のエントリを紹介してこういうことを書いています。
《 今回は小学館だったけど、たぶん出版業界含むコンテンツ産業全体に普遍的にある構造だろうし、雷句誠氏が槍玉に挙げた編集者にしたって途方に暮れてるんじゃないかと思うんだよね。次はラノベか舞台かテレビドラマか分からんけど、制作サイドと企業の論理ってのは原則相容れないから。 あと、クリエイターってのはキチガイが多いから。一般論として。キチガイだから一人で構想立ててモノを書いたりこしらえたりできる。漫画描きたいといって大学の推薦蹴って代アニ逝った奴とか、舞台の製作のたびにヒモになるため女を作る奴とかの集まり。彼らに社会の常識なんか存在しないわけよ。で、現実にブチ当たって、キレることは山ほどある。 でもそういう世間知らずの本物のキチガイでないと作れないクオリティの高い作品はたくさんある。編集者はそのバッファとなって、つつがなく紙に刷るために努力しなければならないのだから、やはり一定の割合でキチガイが混ざったり、逆にキチガイを許容できない人間が不幸にして役割を担わされたりするんだろう。 》http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/06/post_e944.html↑俺様キングダム「いまさら「雷句誠氏、小学館を提訴」の件を語る」
切込隊長はクリエイター(作家)のことを「キチガイ」と呼びましたが、俺も同感です。一見常識人に見えたとしても、心に狂気を孕んでいるのが作家というものです。で、狂人である作家に密着して、なんとか面白い原稿をもらい受け、「商品」として一般社会にお届けするのが今も昔も編集者の役割というものです。
俺が「共犯者としての編集者」というエントリで書いた結論も、そういう内容です。つまり、作家の狂気をうまく作品に昇華させるためには、編集者も作家と同じくらい狂ってくれなかったら作家もいい仕事ができない、ということを書いたのです。
《 逆に言えば、過去の編集者の人達は、『日本の出版界の慣例による「美徳」、つまり作家と版元相互の信頼に基づく関係』の為に、カラダを張ってた部分がデカイのだと思う。これは個々の編集者を責めて済む話ではないような気がする。ひらたく言うと、そこまで「モーレツ社員」にはなれませんということではないか。 》
《 これを美徳やモラルの問題と取ると当事者がそう取るのはやむを得ないと思うが、個人攻撃や精神論で終わってしまう。社会全体が豊かになってくれば、当世若者気質が変わって行くのは当たり前だ。「モーレツ社員前提のフレームワーク」の方にムリがある。必要なのは「持続可能なマンガ・ビジネスの発展」だ。 》
と書かれました。これは今回の雷句誠氏問題の背景を考察するうえでは、きわめて本質的な問題提起ではないかと思いました。つまり、かつて(70年代まで)の日本マンガは「モーレツ社員の論理」が支配していて、社員も作家もモーレツに働いて名作・ヒット作を生み出していったのだが、今の若い社員編集に「モーレツ」はほとんどいない。しかし「モーレツ社員前提のフレーム」は未だに生きていて、
今では「モーレツ」のほとんどを、社員編集者ではなくフリーの作家が担って(担わされて)いるのではないか。
フリーである作家には安定した給料もなければ、福利厚生もありません。人気がなくなれば連載が打ち切られて路頭に迷いますが、社員編集者がクビになることはない。こうした矛盾は、もちろん昔からあったわけです。それでも、今日のように作家から大きく不満の声が出なかったのは、70年代まではどこの編集部にも「モーレツ社員」がいて、作家を上回る狂気で作家と対峙していたので、矛盾が矛盾として認識されなかったのだと思われます。
80年代からバブル期が過ぎてしばらくまでは、単行本が売れに売れていましたから、雑誌原稿料の安さは相対的に目立たなかったわけですが、2000年代に入って頼みの綱であった単行本が(一部のバカ売れ作家を除いては)売れなくなってきました。多くの作家の印税収入が目に見えて落ちてきて、はじめて作家たちは、自分たちの置かれている状態を「どこかおかしい」と気付き始めたのではないでしょうか。
しかし、今はもう時代が変わったので、60年代70年代の「モーレツ社員のフレーム」には戻れない、とagehaメモさんは書きます。今の時代にあったビジネス・スタイルに業界全体を変えなければならないのだと。まったく同感です。そして彼はこう書きます。
《 「現在の編集者」の2機能は、分離できんのだろうか。出版社と漫画家の間に「独立した編集エージェント」が入って「最初の読者」兼「対・部数の維持拡大バッファ」にあたるシカケは、できんもんだろうか。 》
まさに俺も、そのこと(エージェント)について書きたいと思っていたのです。すでにネットでは、今回の問題を受けて「マンガ家の組合を作ったらどうか」という意見や「欧米のようなエージェント制を導入したらいいのでは」などの意見をチラホラと見るようになりました。俺も、ここで本論に入りたいのですが、もう朝の4時になってしまいました。今日は多摩美の講義の日ですよ。と、いうわけで、残念、この項は明日以降に続きます。 (つづく)
マンガ界崩壊を止めるためには(1)-たけくまメモ マンガ界が崩壊して構わないかと言うと、ちと構う。未来の雷句誠とも出会いたいのでオレは。崩壊するなら、代替構造が力を得てからにしてほしい。 問題の根っこは、共にサクヒンを作り上げべき「編集者」が「出版社の... [続きを読む]
現在の大手出版社などからなる漫画界は崩壊してもかまわないが、 でも漫画が読めなくなっては困るから、 その前に代替構造がほしい。 フリーペーパーはいかがでしょうという提案。とはいえ 「常設小屋」 は全て…... [続きを読む]
かつて、戦後のマンガ界は、社員編集者と作家が一蓮托生となって、どちらも私生活を投げ打って名作マンガ・ヒットマンガを作りあげてきた歴史があ... [続きを読む]
雷句先生の問題を読んでいくと、結局はエージェント(代理人)制度というのが、日本の出版界に根付いていないこと、いや日本社会全体で良しとされていないことが問題という気がしてきた。 たけくまメモ : マンガ界崩壊を止めるためには(2) たけくまメモ : マンガ界崩壊を止... [続きを読む]
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