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作家とは?/ ディック

[ 437] 新人賞をとって作家になる!
[引用サイト]  http://shinjinsho.seesaa.net/

この「新人賞をとって作家になる!」は小説家を目指す人のための新人賞情報、原稿用紙の書き方、応募原稿の送り方、新人賞受賞作の書評など、小説家になるお助けをするブログです。
第51回(2008年)群像新人文学賞受賞作「子守唄しか聞こえない」 松尾依子群像新人文学賞の受賞作にしては平明で、「らしく」ありません。三方を山に囲まれ、一方は海に面した田舎の町の閉塞感のなかすべてのことが偽物のように感じる高校生の美里彼女と、その彼氏や友達との関係を描いていきます。いわば思春期の繊細な感受性を描く、ありふれた小説ではあるのですがふと読む者の心をとらえる言葉に出会います。「こんな風に複雑な気持ちで自分達の行く末を話し合う若者を幾度も見てきた気のするこの既視感の目線は、しかし私のものではないだろう。幾度も繰り返されてきた普遍的なこの一場面を通ってきた、先人達の目線だ。」まだ何者でもなく、また未来も開かれてもいない若者たちはその地域の人々がそこで一生を暮したり、あるいは都会に出て行ったり、すでに誰かがたどった道をたどるしかない、という窮屈さが伝わってきます。それでいて「私を選んでくれる人がいるなんて。私と肌を合わせることを望む人がいるなんて。人生と未来の中に私を入れてくれる人がいるなんて。一人で眠る夜、頭の中に私の像を結ぶ人がいるなんて。自分の方を濡らしてまで私を雨から守ってくれる人がいるなんて。」と瑞々しい初恋を、驚きの目で眺めています。乾いた未来への視線と、現在の恵まれた環境を物語と美里は行きつ戻りつしています。彼氏とその男友達3人に囲まれた、オイシイポジションにいる美里ですが4人は優しいが、常に疎外感を抱いています。そこに自分が生理的に嫌いな女の子が割り込んできます。そうなってみると、他の女の子を気安く入れることにも我慢がなりません。10代ならではの自己愛と狭隘さがのぞき、うまい。しかもこの真沙子のキャラクターがいい味。彼女の話を読んでみたいくらい、気に入りました。それに対して、いい人面しない美里との応酬もいい。真沙子の愚鈍そうな外見と、意外にずうずうしい面と計算高さをもっていて、さらに美里の過去にも大きな影響を与えているというプロットには新人作家らしくない力量を感じます。さらに美里と真沙子の関係性の決着をつけてしまうのもきちんと伏線が描かれていて、「死」の必然性を感じます。また美里と真沙子を通して、なおも地方の閉塞感に戻っていくのもうまい。とても力強いというわけでも、新鮮なわけでもないですがしっかりとした筆力を感じさせる作品です。「群像」2008年6月号収録
第1回(2009年)朝日時代小説大賞の選考委員による座談会が「小説トリッパー」2008年6/25号に掲載されています。「どんな作品を期待しているのか」という内容ですが舞台を日本に限らず、中国、ヨーロッパにも広げています。朝日新人文学賞が終わってしまったのですがこの時代小説大賞もおもしろくなりそうです。またその朝日新人文学賞の最後の受賞作と選評も掲載されています。ちょっと変わった作品でも受け入れる度量の広い新人賞だっただけに、休止は残念です。ここでしかデビューできなかった作家もいらっしゃるでしょう。タグ:作家 小説 小説家 時代小説 新人賞
第1回(2008年)城山三郎経済小説大賞の選評が「週刊ダイヤモンド」2008年6/21号に掲載されています。新しく「城山三郎」の名前を冠したことにより選考会はいろいろな意見が出たようです。これからも「城山三郎」らしい小説というのはこの賞のキーワードになるでしょう。応募される方は必ず目を通しておいてください。タグ:新人賞 小説 小説家 作家
第106回(2007年下期)文學界新人賞受賞作「逃げ道」 北野道夫ところどころのディテールがユニーク。和式トイレ用シャワー「和ッシュ」(ネーミングがいかにも、ありそう)。サクラとして販売戦略に加わり、お尻を出し、モニターをする女。突然、ベランダを突き破り、服を交換する隣の女。エクセルで小説を書くというアイディア。主人公の女は大学卒業から入社までの間に和ッシュのサクラのバイトとして活躍しますが入社とともに辞めています。ところが、その和ッシュの健康被害から告発され、会社は倒産の危機。女は尻を出しているビデオを脅迫のネタにされ営業の田尻とともに逃亡することに。隣の服を交換する女も、女が書いていた小説も著者は放り出したままです。小説内小説も、碁盤の目の町に張り付けられた自分とある一定の場所の過去と現在と未来、仕事の役割の過去・現在・未来を示唆しながらその思考を放り出しています。読者を引き付けながら、絶対に結論を出さない。まだまだアイディアだけで勝負しているところはありプロの作家としては未知数と思えます。しかも著者には登場人物を裸にさせたがる、という思考のクセがあります。この方は第104回でも最終選考に残り、その作品でも、男女が裸で供養の舞の真似事をさせているそうです。性行為ではないところが、またこの人らしいユニークさ。その裸への執着が、今後、どう転がっていくでしょうか。おもしろくなるか、陳腐になるか。あるいはそれも手放し、別の方向に行くのでしょうか。「文学界」2008年6月号収録タグ:新人賞 小説 小説家 作家 純文学
芦川澄子は昭和34年に「愛と死を見つめて」で「週刊朝日」「宝石」共同募集の第2回に入選してデビューします。 昭和三十四年に「週刊朝日」と「宝石」が共同募集をした懸賞小説に、私の作文のような小説が入選したのがデビューと云えば云えるのかもしれませんが、その後「宝石」がなくなるとともに、私も自然に消えてしまって幾星霜、私は書き手よりも読み手の地位に安住しておりました。(中略) 私は専業作家になるほどの才能がないことを自覚していましたが、「宝石」社の方ではものになるなら作家として育てようというお考えもあったのでしょう、ある時、当時の編集長だった大坪直行さんが、上京した私を江戸川乱歩先生のお邸に連れて行ってくださいました。あの頃、江戸川乱歩先生は神様みたいな存在でしたから、私はただうつむいて固くなっていました。乱歩先生が「あんたの原稿は、誤字脱字がやたらと多い。わからない字は、変な漢字を使わずに仮名で書きなさい」と仰云ったことは肝に銘じております。(中略) 私が週刊朝日の懸賞小説に入選して、一番嬉しかったのは、賞金の十五万円もさり乍ら、乱歩先生にお目にかかれたことかもしれません。乱歩先生のお励ましにも報いず、私の人生の終りに近づいて、作家としては結局目が出ませんでしたが、ミステリーの楽しみかたを目いっぱい味わって、悔いのない生涯を送ることが出来ました。 生まれ変わったら鮎川賞にでも挑戦してみるか? などと云ったこともありますが、ミステリー作家の創作の苦労を思うと、怠け者の私は、やはり、来世でも書き手より読み手の道を選びたいと思っています。芦川澄子は鮎川哲也夫人。「鮎川賞に挑戦する」というのは、お宅で言われたジョークなのでしょう。2007年11月に、デビュー作を含む『ありふれた死因』を上梓。作家活動は5年ほどだったようですが印象深い作品が多く、このように晩年になって本になることもあるんですね。ま、鮎川哲也夫人として文壇とのおつきあいが続いているということも大きく影響しているでしょうけれど。「ミステリーズ!」 vol.26 2007年12月より引用ブログで読みやすくするために改行を入れています。【芦川澄子 プロフィール】1927年東京生まれ。甲南高女卒業。1959年「愛と死を見つめて」が第2回「週刊朝日」「宝石」共同募集に一等入選。1964年鮎川哲也と結婚。1967年離婚。のち復縁。タグ:新人賞 作家 小説家

 

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